ネクタイの柄

 ネクタイの柄というのもいろいろあるが、趣味を反映して、どうしてもこれでなくてはいやだという場合がある。
 京都の和菓子屋さんのご主人は、いっとき、象の柄に凝っていた。象なんかいくらでもありそうにおもうが、いざ頼まれて探すとなると、これが全然ない。ようやく見つかった象の柄は、なんだか干涸びて、小さくて、一面に散っているところは枯葉のようだった。それでも京都に行ったついでに、恐る恐る持ってうかがうと、ウヒョー、象やおまへんか、よう見つけてくれはりましたなあ、とことのほか喜んでくださって、お土産にお菓子の詰め合わせまでいただいた。あれでよかったのかなあ、とおもうのはあさはかで、いただいた芸術品のようなお菓子に舌鼓を打って、喜びを分かち合えばよいのである。
 貴金属商のT氏は模型飛行機が大好きで(たしか、森繁久彌氏がお仲間で、暇があるといっしょに飛行機を飛ばしに行く、とおっしゃっていた)、だからいろんな持ち物も飛行機の形をしていた。いろんなといっても、ネクタイピンとか、キーホルダーとか、ベルトのバックルとか、限られてはいたが。
 T氏も、飛行機の柄のネクタイがあればぜひほしい、とおっしゃった。象もそうだが、輸入のネクタイで、すぐに具体的な形象を求めるのは困難である。犬でも猫でもキリンでも、入荷するときには入荷する。探さないでいいから、もしそんなのが出たときには声をかけてほしい、というあたりが非常にありがたい。で、噂をすれば影のたとえどおり、すぐに豆粒ほどの大きさの飛行機がまんべんなくネクタイの表面にばらまかれた、遠目に見ると夏の蚊柱が立ったようにみえる1本が入荷した。あまりといえばあんまりな、とおもったが、ご本人は大喜びで、ほら、見なさい、ヒヒヒ、こんなにたくさん飛行機が、エヘヘ、といってご満悦である。お礼に、指輪の詰め合わせをお土産にあげよう、とはおっしゃらなかったが、喜びの気持だけ分かち合った。
 ある日、山口瞳先生がみえて、巨泉にプレゼントするから、ネクタイでなにか彼の趣味に合った柄はないだろうか、といわれた。もちろん、大橋巨泉氏のことで、「イレブンPM」(註、日本テレビ、1966年4月〜1985年9月)でわかるように、釣り、将棋、麻雀、競馬、ゴルフ、ボーリング、旅、ジャズ(これは本業で、評論家。ぼくにはイレブンPMより、星加ルミ子さんとの「ビートポップス」のほうが馴染みぶかい)と向かうところ敵なしの趣味人だから、なにか適当な柄がありそうにおもえた。
「彼は馬が好きだから、馬の柄はないかな」
 山口先生がおっしゃった。
 馬の柄は、つい先だってまであったのである。それこそ胸いっぱいにひろがる図柄で、馬の顔が描いてあった。あれなら派手で、目立つし、いかにもどんぴしゃでよかったのだが、いまないものをいっても始まらない。
「これどうでしょう? 馬ですけど」
 鎌崎店長が1本取り出してみせた。たしかに馬もいる柄で、ハンターがその上で銃をかまえていた。
「狩猟の柄で、もってこいでしょ?」
 鎌崎店長は、上目使いに先生を見た。
「狩猟は駄目だ!」
 山口先生は、大きな声を出された。
「え? だって、巨泉さんは銃も撃つんじゃありませんか」
 半信半疑の口調で店長がいった。
「撃たない! 彼は、巨泉は、生き物を殺すような、そんな男じゃない!」
 山口先生の語気があまりに強かったので、鎌崎店長はぼくの顔をそっとうかがうと、すーっとその場を離れた。気まずい空気が流れた。山口先生は、肩で息をしておられた(友人が誤解されるのを、絶対見過ごせない、といった気魄がみえた)。
「これなんか、いかがですか?」
 ぼくは、1本のネクタイを出してみせた。フランスのクロード・テライユ(鴨料理のツール・ダルジャンのオーナー)のネクタイで、紫色の地におやゆびくらいの大きさの平目が、白抜きで並んで描かれていた。
「いちおう、魚ですが。釣りをされますからどうでしょう?」
 山口先生は、いましがた激昂されたご自分に照れたのか、声をおとして、平目ねえ、とつぶやかれた。
「漫画のような顔した平目だけれど、テレビ映りはどうかなあ?」
 結局、ほかに適当な柄もなかったので、その日に大橋氏に会われることになっていた山口先生は、平目のネクタイを箱に詰めて持って帰られた。
「ああ、びっくりした。あんなことで怒られるとはおもわなかった」 
 鎌崎店長が、細い眼を大きく見開いて、舌をだしてみせた。
 ぼくは散らかったネクタイを片づけながら、もし自分だったらああいうとき、あんなに純粋に怒れるだろうかとおもって、友人の顔をいくつか想い浮かべた。
 その平目のネクタイは、次のイレブンPMのとき、大橋巨泉氏の胸元を飾っていた。しかし、残念なことに、山口先生が懸念されたように、平目の柄は平目には見えなかった。その紫色のネクタイは、やはり、おやゆびが並んでいるように見えた。