H氏の話 1

築地の大A新聞社の記者をしていたH氏は、リストラの嵐吹きすさぶなか、早期退社に手をあげた。定年まではあと何年かあったが、それまでの期間の給料の半額(ときいた気がするが、もっと多かったかもしれない)を、退職金に上乗せしてもらえることになったからである。
 生活をいままでの半分に引き締めれば、その半分出る給料で実質の定年の年まで暮らすことが可能で、そこまで辛抱すれば年金が支給されるのである。ラッキー、とH氏はおもった。そういう特典がなくなってから追い出されることに、なりそうな気配があったからである。
 それが一時に銀行に振り込まれたことが、H氏にとっては不幸だった。
 なんだか急に大金持ちになったような気がした。ちびちびと生活の足しにしなければいけない上乗せされた金が、なんとなく余分にもらえた金額のようにおもえて、つい贅沢をした。ふだんから、金がふんだんにあったら買えるのに、食えるのに、遊べるのに、とおもっていたことをやってみた。
 はじめてH氏がみえたのは、もうその余剰金を使い果たしたあとで、それが原因で夫人といさかいになり、残りの退職金とわずかな預金を二人で半分こして離婚したばかりのときだった。まだ年金にはだいぶ間があった。
 贅沢はいっしょにしたのに、なぜかぼくだけ悪者になった、とH氏はいった。
 一度贅沢を味わったH氏は、もう引き返せなくなっていた。それに、まだ、退職金の半分は残っていたのだから。
 夫人がいなくなると、身の回りは万事不如意で、洗濯も、掃除も、料理も、なにも自分ではできなかった。家事はいっさいしたことがないH氏には、家のなかに生活はなくなった。帰って寝ることが生活といえるなら別だが。
 身ぎれいだったH氏は、たちまち薄汚いおっさんに変貌していった。その上、長年の宿痾の痔疾が悪化して、緊急入院して手術することになった。
 それが、病院のベッドを抜け出して、タクシーに乗って銀座に来る。パジャマ姿で異様だけれど、本人はいささかも気にしない。パジャマの尻の部分は、汚物でぬれているから、椅子にすわられてはたまらないのだが、すわらないでともいえないので、すわることになる。二脚あった来客用の椅子の片方は汚物にまみれたから、捨ててしまおうとおもったが、またみえたとき困るから、うらの廊下に置いておいて、ドアのむこうに姿が見えると、あわてて裏からもってきて取り替えた(汚れたら、そのつどきれいに拭かなくては、廊下にも置けないのだけれど、いったいだれがやるのかね)。
 退院してからもH氏の尻は、あまりはかばかしくないようだった。ズボンの尻が汚れているのは、あたりまえのことになった。あれでは、あとからタクシーに乗った人は災難だろうな、とみんなで話した(ウンコタクシー、と釜本次長は笑ったが、あなたの顧客じゃないですか)。
 ある晩、その日はぼくと荻馬場さんの当番の夜だったが、しまい間際にひょっこりとH氏が顔を出した。とくに用事はなかったし、H氏の担当は釜本次長で、その日は早番でもういなかったから、H氏もなんとなく浮かない顔で早く帰っていった(「ああ、よかった」)。
 ところが、床を見ると、なんとしたことか、ウンコが落ちていたのである。
(つづく)