続々々 花器沼先生

花器沼先生は、大蔵省から京橋税務署に出向にきて、それから税理士になった。中堅で割合業績のよい都内の優良企業を何社かと、銀座を中心に中小の会社をけっこうたくさん顧客にもっていた。経理を見るだけのバーやキャバレーももちろんあって、本人の弁ではウハウハだった。
 先生は、茨城の古い老舗の和菓子屋に生まれたが、もとより家業を継ぐつもりはなく、人に頭を下げるのは金輪際嫌いだから、頭を下げなくてすむ役人になった(「人にペコペコするなんて、冗談じゃないよー」)。税理士になって、顧客を相手にしなくてはならなくなったが、それだって「許容範囲」を越えない程度のペコペコだった(「だって金払ってくれるんだから、それくらいしなかったら罰が当たっちゃうね」)。
 唯一頭が上がらないのはご母堂で、結婚も「ババアが連れてきたから、仕方なく」した。
「ババアは跡継ぎがほしかったので、おれのことなんかアテにしてなかったんだ」。
 女児を一人もうけたが、奥方とは東京と茨城でずっと別居状態だった。
「店も土地も家も、全財産を女房にくれてやったんだから、向こうも文句ないだろー」。
「店はおいっこが手伝って、女房が社長で、ババアの面倒も見てくれて、けっこう繁盛してるらしいけど、おれは知らないよー。関係ないもん。そのうち、娘が大きくなったら、婿でもとるつもりでいるんだろ」。
「淋しくないかって? はっは、だれにも束縛されないで、好きなように、自由に暮らしているんだよ。金だってつかいきれないほどあるし。淋しいわけないでしょー」。
 花器沼先生は、夕方、かならず店に寄ってから家に帰った。たいてい、小腹が空いたからといって、店のだれかにお金をわたして、家に帰るまでの腹つなぎに、なにか食べる物を買ってこさせた。それも、店の社員みんなの分も買ってこさせる。たとえば、維新号の肉まんに凝っていたときには、ずっと肉まんが続いた。ぼくらはかわりばんこに裏の試着室にこもって、最初はおいしくいただいていたが、そのうち食べたふりをしてお礼をいいながら出てくるようになった。毎日、肉まんというのも、つらいものがある。ぼくらがお礼をいうと、女子社員が入れたお茶を飲みつつ肉まんを頬張る花器沼先生は、なんとも上機嫌だった(「おいしかった? そう、それはよかった」)。
 先生に、うちにばかりいらして、なんでよそのお店に行かれないんですか、ときいたことがある。おれは浮気性じゃないから、というのが表向きの答えだった。が、それだけのわけがない。ほんとはどうなんですか、とききなおすと、あんたもしつこいねといって、椅子に腰かけた膝の上で組んだ両手の親指をクルクルまわしながら、短い足をブラブラさせた。それから、恥ずかしそうにいった。
「知らない店に行っても、威張れないから」。