2006-01-01から1年間の記事一覧

キューちゃん

綿貫君がロールスロイスを見せにきたとき(註、04-8-22参照)、おとなりのマルボロの金森さんが、とつぜん入り口から顔を出していった。 「うちのキューちゃんのお父さんも、ロールスロイス乗ってるよ。あれほどクラシックじゃないけど」 キューちゃんという…

やんごとなき方?

出張から帰ると、ひとり、女子社員が入社していた。 有金君にきくと、目白のG院の国文を出て、まだお勤めをしたことがない人のようだった。 「いとやんごとなきお方なのかね?」 「さあ、ぼくにはよくわかりませんけど」(有金君は、美人にしか関心がない) …

カン違い

O氏のお仕事は貿易関係で、巨万の富を蓄えておられるという話だった。レマン湖のほとりに別荘があり、担当の鎌崎店長に夏休みに泊まりにこいといってくれた。箱根あたりじゃあるまいし、はいそうですかといって簡単に泊まりに行けるわけがない、と鎌崎店長は…

道案内

砂糖部長がその昔、通りすがりのおばあちゃんに親切に道案内したことは、社内では美談になっていた。肝心な点は、その後おばあちゃんが良い顧客になったというところにある。 ある日、ぼくが入り口近くに立っていると、いかにも地方から出てきたとおもえる老…

清水のおばあちゃん その2

清水のおばあちゃんのお宅で商売がすむと、近くのお鮨屋さんに案内された。 これは、最初のときからずっと恒例になっているそうで、お買い物をしてくれたうえに、お鮨をごちそうしてくれるのである。砂糖部長の親切が、おばあちゃんにはどれだけうれしかった…

清水のおばあちゃん その1

砂糖部長が箒で店の前を掃いていると、小さなおばあちゃんが道をたずねた。 砂糖部長はまだいちばん下っ端で、ずいぶん若かったころのことである。 口で道順を教えたが、おばあちゃんは地方から来たので、銀座の地理がわからないといった。それで、仕方なく…

雑言

バブルがはじけて世間でリストラの嵐が吹き荒れたころ、築地の大A新聞でもリストラが進行していました。同時にIT革命も導入されて、古参の社員はパニック状態におちいったのでした。 リストラの一環として、パソコンをひとり1台あてがわれることになりました…

続・らんぶるの家事

らんぶるで火事があった日、ぼくは高校時代の友人たちと待合せをしていた。久しぶりに会って一杯やろう、と誘われていたのだ。 待ち合せ場所は、以前1度だけ行ったことのある小さなバーだった。新橋の烏森口にあったような気がする。183センチの大男、辻本が…

らんぶるの火事

ぼくらが入社してすぐ、らんぶるが火事になった。 ぼくらというのは、ぼくと有金君で、らんぶるというのは、ソニー通りにあった石造りの古い喫茶店のことである。 音楽喫茶といっていたが、なにしろ古ぼけており、うっかりしていると足もとをねずみが駆け抜…

足もとを見る、という言葉があるけれど、はいている靴を見られることがある。外国のホテルなんかではけっこう顕著だそうで、この場合、靴がふところ具合のバロメーターになっているのである。イタリーでは、きちんとした服装をしていかないと、レストランで…

立原正秋先生

立原正秋先生は、スポーツシャツに丸いつばのあるピケの帽子をかぶってみえた。 箱をあけると、仕立券付きのワイシャツ生地がはいっていた。 ちょうど4階のホールで展示会をやっていたときで、鎌崎店長は立原先生をエレベーターに乗せて4階におつれした。 会…

課長になった頃 その3

新谷さんは真っ青になった、と、その場にいた事務所の愛原さんが、すぐに教えてくれた。新谷さんの手は、ふるえて、とまらなかったのよ。 その日から、新谷さんはぼくと同じ電車に乗らなくなった。ぼくに対しては、仕事で必要なときしか話さなくなった。店長…

課長になった頃 その2

ぼくが課長に就任したのは、有金君が突然退職してすぐのことだった。ぼくがつられて辞めることを懸念して、とりあえず肩書きをあたえておこう、と会社が考えたフシがある。だが、ぼくはべつに有金君が辞めたことで、動揺などしていなかった。「課長」などと…

課長になった頃 その1

ぼくは週刊誌も月刊誌も読まないから、週刊新潮の山口瞳先生のエッセイ「男性自身」もダイレクトに読んでいたわけではなかった。ときたま、お医者の待合室で、暇つぶしに手に取ることはあったけれど。たいてい、単行本になってから、ゆっくりと読むことにし…

赤岩さん その3

ある日、赤岩虎治氏(仮名)がみえて、婦人物のショールをプレゼント用に買われた。カシミヤとシルクプリントを重ね合わせた、和装でも洋装でもできるショールで、たしか10万円くらいの値段だった(昭和50年代半ばのことです)。 「ちょっと、ちょっと待って…

赤岩さん その2

ワイシャツの注文を受けたとき、有金君はワキグリをゆったり楽にするよう、申しつかった。それで、袖付けがすこし大きめに出来ていた。ところが、ピカ一洋服店(仮名)のほうはそんな指示を受けなかったので、普通の大きさに上着のワキグリを仕立てていた。…

赤岩さん その1

赤岩虎治氏(仮名)は株屋さんだった。 株屋といっても、証券会社の社員ではない。株の売買で利益をあげて生活する人である。当時は、そういう株屋さんがずいぶんいて、けっこう羽振りがよくて、みなさん銀座でもいい顔だった。 赤岩氏は、有金君の顧客だっ…

梅ちゃん 最終回

梅ちゃんが睡眠不足で、店で接客しながら居眠りをするようになった。立ったまま、とろんとした眼をしていたかとおもうと、いつの間にか眠っていて、ときどき、生返事をする。お客様も、とつぜん、ああ、そうなんですかあ、なんて返事をされたら、ちょっとび…

私の辞書

いつも手もとに置いておく辞書は、「岩波国語辞典第二版」(註1)です。これでたいてい間に合います。もしこれに載っていない言葉があれば、「広辞苑」(註2)に当たります。こちらは第一版で、その後たくさんの言葉が補訂され、その都度版をあらためていま…

梅ちゃん その4

ぼく、梅島、殴りますから、さきにいっておきますけど、けっして止めないでよね」 と、真剣な表情で有金君がいった。 「なんで?」 と、ぼくはききかえした。 「あいつ、最近、たるんでるっておもいませんか? 遅刻はするし、お使いに行ったら、鉄砲玉みたい…

梅ちゃん その3

梅ちゃんは、東京オリンピックの前の年に生まれた。東京オリンピックは1964年のことだから、ぼくが結婚した84年には、まだ21歳だったことになる。埼玉の高校を卒業して、大手のパン屋のチェーン店に入社した。製造部門ではなく、お店の販売のほうだった。 勤…

梅ちゃん その2

梅ちゃんが青い顔をして裏口から店に入ってきた。眼が泣いたように真っ赤だった。 そのとき店には、店長と次長と荻馬場さんと、それからぼくがいた。みんな表の入り口のほうを向いて、ウィンドウをとおして人の行き交う歩道を無言で見つめていた。そういう姿…

梅ちゃん その1

有金君から電話がきた(これは、ごく最近の話です)。 有金君は、2月に緊急手術をしていた。お腹の一部がなぜか瘤のようにせり出してきて、しばらく様子を見ていたが、あんまり気になったので医師に診せてみると、それは脱腸だった。放っておくと腸が腐る恐…

有金君 これが最後

伊豆東急インに着いた。 途中で道を間違えたのか、気がつくと、ときおり、下に海沿いの道が見えた。いつの間にか、樹々のあいだの山道を走っていた。 山のなかでは、暴走族のような車にあおられた。初心者なのだから、道を譲って先に行かせればよかったのだ…

有金君 その9

有金君が伊豆までの道順の地図を描いてくれ、こまごました注意事項を一覧表にしてくれた。 「王子から用賀までは、本当は池袋から首都高速にのるのがいいんですが、分岐点でうまく方向をかえられないと大変だから、なんだか無駄なようだけど池尻からのってく…

有金君 その8

ぼくがあわてて車を購入したのには、じつはわけがあった(註、2004ー10ー17「文藝手帖の中身」参照)。 古い手帖をみると、5月13日(金)に運転免許の本試験があったことがわかる。当時、川崎市に住んでいたから(旧ヴェルディ川崎のホームグランド、等々力…

有金君 その7

有金君から、つぎのようなメールが届いた。質問の返事だ。 「アマガエル色のゴルフ、中ブルのせいか、クラッチ?ブレーキおお甘! 首都高、銀座に向かって走っていても、必死にハンドル握ってないと、とんでもない所へぶっ飛んでいってしまいそうでした。 奥…

有金君 その6

有金君は、自動車外商のあとしばらくして、うちに泊まりにきた(註、例によってだらだら長いだけですから、ご多忙の方は、ずっととばして、「その晩」からお読みください)。 ベージュに塗られた鉄のドアをあけると(隣りの甘木の住んでいる号棟のドアはブル…

有金君 その5

ーー辰野(隆)さん、僕のリアリズムはこうです。つまり紀行文みたいなものを書くとしても、行って来た記憶がある内に書いてはいけない。一たん忘れてその後で今度自分で思い出す。それを綴り合わしたものが本当の経験であって、覚えた儘を書いたのは真実で…

有金君 その4

嵐山で暇つぶしをして大損害したあと、太秦の顧客のお宅で商売をして、暗くなってからホテルに帰ってきた。その頃は、パレスサイド・ホテルが定宿だった。京都御所の西側に面していて、町中からは遠く離れていた。 ホテルの近くまで戻ってくると、京都府警の…