道案内

砂糖部長がその昔、通りすがりのおばあちゃんに親切に道案内したことは、社内では美談になっていた。肝心な点は、その後おばあちゃんが良い顧客になったというところにある。
 ある日、ぼくが入り口近くに立っていると、いかにも地方から出てきたとおもえる老人が、ドアをあけてのぞきこんだ。老人は、メモ用紙を出して、ここへ行きたいんじゃが、とぼくの顔を見た。
「ああ、それなら、すぐそこのところですよ」
 ぼくは通りに出て、次のブロックのビルをゆびさした。奥から、社長が怒鳴るのがきこえた。老人は、お礼をいって歩いていった。店にもどると、社長が恐い顔をしていた。
「駄目じゃないか。あんな人に、いちいち道を教えてやる必要なんかないよ。ずうずうしいんだから田舎もんは。交番できけばいいんだ。わざわざ出て行って教えてやるなんて、時間の無駄だよ」
 道をたずねられたら、教えてあげるのが普通じゃないかな、美談とかに関係なく。ぼくだって、外商で地方に行ったとき、よく人に道をたずねて助かっていた。田んぼしかないところでは、車を停めて、農家のなかまでききにいった。そんなとき、自分のところの社員が農家の人に、都会の人間はずうずうしいから教えてやらないよ、といわれたら、どうするのだろう。
 その老人は、戻ってくると、ちょっと休ませてつかあさい、といって奥の椅子に腰をおろした。通りすがりの人にしては、慣れ慣れしいとおもい、話をきくと、なんと地方の有力な顧客の父上だった。用事がすんだあと、ここでご子息と待合せをすることになっていた。
 老人は、帽子を脱いで、ハンカチでおでこをぬぐうと、
「銀座なんか、めったに来んけえ、たまーに歩きよるが、さっぱりじゃな」
 といって笑った。そして、「耳が遠いけえ、大きな声で話してくれんといかんよ」といった。それなら、さっきの怒声は耳にはいらなかったにちがいない。すこし、ホッとした。
 地方の有力な顧客の父上がみえているとききつけた社長が、あわてて事務所から飛んでくると、ふかぶかとお辞儀した。
 老人は、ちろっと見上げると、「耳は遠いんじゃが、悪口はよくきこえるんよ。地獄耳じゃけん」とつぶやいた。
 だれかが、ひどく赤面した。
(もっと肝心な点は、けっして人を見くびってはならない、というところにある)。