有金君 その7

有金君から、つぎのようなメールが届いた。質問の返事だ。
「アマガエル色のゴルフ、中ブルのせいか、クラッチ?ブレーキおお甘! 首都高、銀座に向かって走っていても、必死にハンドル握ってないと、とんでもない所へぶっ飛んでいってしまいそうでした。
 奥様の手料理をご馳走になりました。何品かいただきましたが、自分が覚えているのは、ワンタン(ギョーザ)の皮を揚げたシンプルなおつまみしか思い出せません。
 他の料理も、きっと僕の口には合ったのでしょう。何を食べたか覚えていなくても、口に合わなくて食べられなかったという記憶がないですから。
 よく、食べ物の恨みは恐ろしいと言いますが、自分の口に合わなかった食べ物のことは、良く覚えているものです。
 でも、奥様にパジャマを差し上げたことは、覚えておりませんでした。以上 ヘルニー」(有金君は、つい先日まで「アリエモン」と呼ばれていた。それが、なぜか急に評判がわるくなったといっていたから、「ヘルニー」にしたのか。ブッティック・ヘルノの親玉だけど、なんだか腰にきそうだよ)。
 有金君もいっているぼくのフォルクスワーゲン・ゴルフは、4年か5年落ちの中古車だった。だから値段も安かったが、問題も沢山抱えていた。なぜかドアミラーの具合がわるくて、高速道路でスピードを上げると、カクンと倒れてしまう。何度直しても駄目で、しまいにはあてにしなくなった。なくたってべつに困らない。第一、時速120キロなんてどんなに踏み込んでも出なかったから、よその車を追い抜くのも一苦労で、めったに走行車線から出たことがなかった(魔が差したスピード違反も、30キロ制限のところを18キロオーバーという、なんだかなさけないものだった)。
 ヂーゼルエンジンは、アイドリングの音が凄くて、ただ停車していても、そのあたりの家から人がとび出してきた。乗ってるほうだって、ステアリングやらダッシュボードやら、ビリビリ振動して、気が気ではなかった。クーラーをつけるとなおさらで、分解しそうだった。しかも、マフラーからは黒い煙りがモクモク吹き出ていたから、いまだったら環境問題におおいに触れて、袋だたきに合っていただろう。 しかし、なんといっても問題は色で、どこに駐めてもこんなに目立つ車はなかった。駐車違反の目の敵だ。これだって、見に行ったときには、こんな色じゃなかったはずなのだ、たぶん。 
 自動車外商から帰ってすぐ、古い友人の鰐口と晴海の中古車展示場を見に行った。ぼくは、フォルクスワーゲンの、かぶと虫と呼ばれていたビートルがほしかったはずなのに、この友人の黄色いゴルフに乗って行くうちにいつの間にか洗脳されてしまったようで、ヤナセのフロアーにゴルフがずらりと並んでいるのを見ると、急にゴルフがほしくなった。しかし、ものには予算というものがある。一応あるけれど、あってもほしいものはほしい。ぼくは、そのなかで一番安いゴルフを選んだ(本当は、ぼくも黄色がよかった。駄目なら赤でも青でもよかった。けれど、車の色としての緑は、ぼくは考えたこともなかった)。
 晴海の会場のぼんやりとした蛍光灯の下で、その車はモスグリーンに見えた(緑色はなんだけど、濃い色ならまあいいか、イギリス車には結構多いし)。それでぼくは、外で見てみたい、と係の人にたのんだ。係の人は、ちょっと困って、これはナンバーが失効しているから、陸運局でナンバーを取ってからでないと動かせません、といった。ああそうか、そういうわけなら仕方がない。黄色のゴルフの鰐口が、運転席にすわると、クラッチとギヤを何度も試した。
「まあまあじゃないかな。ブレーキもおれのよりは効きそうだ。なんたっておれのブレーキは、フカフカだからな」
「そうなんです」と、係の人がいった。「外車は個体差がはげしいから、一概になんともいえません」
「気に入らなけりゃあ、おれのと交換してもいいかもしれないかもしれない」と鰐口がいった。「そのかわり、タイヤ全部新品にして、マットも付ければだけど」
「はいはい、それはもう、そのように」と、係の人は揉み手をした。
「じゃあ、これください」とぼくはいった。
 2週間後に、黄色のゴルフの鰐口と電車に乗って横浜まで車を引き取りに行った。小雨の降る肌寒い日で、横浜の中古車センターは閑散としていた。営業事務所の前にピカピカに磨き上げた、まぶしいくらい明るい緑色のゴルフが、雨滴をはじいて駐まっていた。ぼくは、自分の車があたりにないか、目で探した。ポケットに手をつっこんだ鰐口が、きょろきょろしながらガレージのなかに入って行った。そして、「おい」といってぼくをふりかえった。「あったか?」と、ぼくはたずねた。
「ガレージのなかには、グリーンの車は1台もないぜ」と鰐口はいった。「もしかすると...」
 ぼくもさっきから、そんな予感がしきりにしていたのだ。ぼくらは、事務所の前のピカピカの車を、もう一度見た。どこからか例の係の人が現れると、どうぞこちらへ、といって応接間に案内した。あの、とぼくはいった。
「ちょっとおききしますが、あの車がぼくの車ですか? 」
「ええ、そうですとも。ワックスがけして、きれいに磨いておきました。前にごらんになられたときより、もっと輝いておりますです」 
 ぼくはお金を払って、キーを受け取ると、お礼をいって車に向かった。帰りの運転は、念のため鰐口がすることになった。エンジンは、一発でかかった。係の人は、最敬礼で見送ってくれた。
「あんなに頭、下げることないのにな」
 ぼくはいった。
「当然だよ。彼、タイヤとマットですんだんだもん」
 鰐口はそういって、助手席のぼくを見た。
「それより、おどろいたな。晴海で見たときは、こんな色には見えなかったのに。おれはさっきから、この車の色が明るすぎて、チカチカして目が痛いよ」
「こんな色の車に乗って帰ったら、うちのカミさんなんていうだろう?」
「そりゃあおまえ、ボロクソだろうよ。なによ、こんな雨蛙みたいな色の車! って。おれ、責任ないからね、いっとくけど。それから、文句あっても黄色いぼくちゃんのゴルフとはとっかえこしーないっと。モスグリーンだったら、おれもちょっといいかなっておもったけど。なんたって、おい、雨蛙色だぜ、これ。キャハハ」
(しつこいが、つづく)