続・らんぶるの家事

 らんぶるで火事があった日、ぼくは高校時代の友人たちと待合せをしていた。久しぶりに会って一杯やろう、と誘われていたのだ。
 待ち合せ場所は、以前1度だけ行ったことのある小さなバーだった。新橋の烏森口にあったような気がする。183センチの大男、辻本がその頃出没していたバーで、このノンベイは、渋谷、新宿、新橋の子汚い飲み屋を主に徘徊しているのだった。ぼくはアルコールに弱かったから、どこでも連れて行かれた先でかならず吐いた。このバーのある雑居ビルの共同トイレでも吐いた。新宿ゴールデン街の共同便所でも吐いた。渋谷のしょんべん横町の共同の掘ったて便所でも吐いた。それなら飲まなければいいようなものだが、男じゃけえ、万難を排してつき合うのである(辻本は、中学3年の夏休みのあいだに15センチ背が伸びた、といっていたが、40日で15センチとは恐ろしいことである)。
 辻本の会社は小さな出版社で、盆栽とか石の雑誌を出していた。入社したときはパッとしない会社だったが、ある日とつぜん空前の盆栽ブームがやってきた。地味な趣味の雑誌で競争相手がいなかったから、一躍脚光を浴び出すと、ほとんど一人勝ち状態で、それまで薄給だった給料が毎月倍になるので怖いといった。嫌みなやつで、高給取りになってからぼくの月給の金額をきくと、それは週給か、といった。そのかわり太っ腹になって、コーヒー代以外はぜんぶこの男がおごってくれた。もっとも、飲むのも食うのもこの巨漢は半端じゃなかったから、割り勘にすると割が合わなかった。日本酒を1升飲んでも酔わないやつなんか、かわいくないね。 もうひとり、甘木という男がいっしょだった(註、2004-8-15「私のニセ東京日記」参照)。甘木は、ぼくと背格好がほとんどいっしょだったのに、社会人になってからめきめき太り出し、走ると腹のあたりが、水を詰めたゴム風船のようにボアンボアンとゆれた。ほとんどアルコールが詰まっていて、マッチで火をつけると燃え上がったはずである。
 らんぶるから火が出たのは3時頃で、すぐにシャッターを降ろしたから、しめた、早帰りできるぞ、と小躍りした。しかし、そのあと、いつまでたっても、くすぶったまま鎮火宣言が出なかったから、夕方6時前にそっと抜け出すと、新橋まで走ってゆき、すこしおくれる旨を伝えた。ふたりはもう来ていて、それならボツボツやってるよ、といった。すこし火事を見たそうな顔をした(わざわざ行ったのは、その店の名前をおぼえていなかったからで、電話番号を調べられなかったからだった)。
 ところが、いっこうに鎮火するきざしがないまま、時間ばかりがたってゆく。お腹は空いてくるし、眼は痛くなってくるし、鎮火宣言が出るまでの3時間、イライラしながら待っていた。飲みはじめたふたりが、いくら酒に強いといったって、3時間も飲んでいれば、もう結構だろう。
 実際、3時間おくれで行ってみると、ふたりは真っ赤な顔をして、半分眠っていた。ぼくは、眼が腫れたし、とてもくたびれたから、きょうは飲まないで帰る、と告げた。すると、前に1度しか会ったことのないママさんが、ニヤッとして、
「あら、そうなの、それじゃあ、うちのトイレがさびしがるわ」
 といった。