らんぶるの火事

 ぼくらが入社してすぐ、らんぶるが火事になった。
 ぼくらというのは、ぼくと有金君で、らんぶるというのは、ソニー通りにあった石造りの古い喫茶店のことである。
 音楽喫茶といっていたが、なにしろ古ぼけており、うっかりしていると足もとをねずみが駆け抜けていった。コーヒーがうまいわけでもなく、コーラときたら薄めて出しているのじゃないかと疑ってしまうくらい、張合いのない味だった。だから、めったに行かなかった。ほかの店が夏休みで閉まっているときとか、年末で、やはりほかがやってないときくらいしか用がなかった。ガタガタの椅子に腰かけて、渋いクラッシックが鳴り響いているなかにいると、薄暗い照明とあいまって、自分がいまいるところが銀座だとはとてもおもえなかった。
 火事を知ったのは、最初の1台目の消防車がけたたましいサイレンを鳴らしてソニー通りに進入してきたときだった。午後3時頃のことである。すぐそばで火が出ても、あんがい気づかぬもので、違うビルの6階にある事務所から内線で、「サイレンがきこえたけれどなにかあったの?」と呑気な声でいってきた。事務所のビルは、らんぶるのすぐそばで、わずか2〜3軒の距離のところにあったのである。事務所は突然、蜂の巣をつっついたようになった、とあとできいた。
 消防車はつぎからつぎへとやってきて、ソニー通りに入りきれなくなると、みゆき通りや電通通りに停まっていた。それでもあとからあとから押しかけて、晴海通りや並木通りが消防自動車でいっぱいになった。消防車のストックがこんなにあるとはおもわなかった。
 主導権を握ったのは、京橋消防署らしかった。消防車の1台から、拡声器で指示が飛んだ。指示のあたまに、かならず京橋隊長命令とついた。「京橋隊長命令。放水して消火にあたれ!」というように。そして、遠くの消火栓から引いてきた長いホースが何本もらんぶるに向けられて、いっせいに放水が開始された。らんぶるに向かって放水される水の量を見ると、火事はあっけなく消えてしまいそうにおもえた。
 ぼくらはさいわい、近隣のビルの関係者ということで排除されなかったから、なるべく水なんかかからないように注意しながら、できるだけ近くに寄って見ようとした。一般の通行人は、すぐに野次馬よけの綱が張られたから、それ以上近づくことができずにいた。野次馬が道にごったがえしはじめると、どこの店のシャッターも早々に閉められた。
 隊長の指示する声は何度も高らかにこだまして、そのたびになんとか見ようとする野次馬の輪が綱を押してせばまった。やがてそのうちに、ひときわ高く指示が響いた。
「京橋隊長命令。第何班は突入せよ!」
 ホースを抱えた隊員と、飛び口のような棒をつかんだ隊員が、続々らんぶるに飛びこんでいった。中に入ってあれだけ水をまけば、たちまち火は消えるだろうとおもえた。それでもまだ、火の粉が飛び散ったり、あたりに灰が舞いあがったりした。せっかく決死の突入を敢行したけれど、火は一時小さくなっただけで、いっこうに消える気配がなかった。ときどき、また大きく燃え上がろうとしたのは、まだ建物内部の木造の骨格がしっかり残っているからのようだった。
「京橋隊長命令。木造部分を解体しなさい!」
 命令はだんだん激しく、熱をおびてきた。矢継ぎ早に命令が出た。そのうちに、「京橋隊長命令。どんどん壊しちゃえ!」とか「京橋隊長命令。がんがんやっちゃえ!」と、端的な指示が出はじめると、ぼくらは顔を見合わせてついにんまりした(葬式のときでも、なにかおかしなことにぶつかると、とたんに笑い出してしまう性格を、どうか許してください)。
 5時頃にはようやく火の手もおさまったようで、あれほどたかっていた野次馬たちもいつのまにか散っていた。それでもまだ鎮火宣言が出ないので、らんぶる内部の消火活動はつづいていた。事務所から、「シャッターを降ろしたまま残っていてもしようがないので、女子社員は帰ってよし、男子社員は鎮火宣言が出るまで、なにが起こるかわからないから待機するように」と連絡がきた。そしてじきに、事務所の唯一の男性である社長も、あとはよろしく、と言い残してそそくさと帰っていった。
 ところがである。どうしたことか、いつまでたっても鎮火宣言が出なかった。すこしでもくすぶって煙りを出しているうちは、駄目だということがわかった。
「もういいんじゃないの、店長? 腹が減ってきたよ」と、次長がうんざりしていったのは、時計が7時をまわった頃だった。
「まあ、待てよ、もうすこし。社長がそういって帰ったんだから、鎮火をたしかめなくちゃあ」と、店長はいった。こちらも半分うんざりした声だった(社長に電話して、その後の経過報告をしなくてはならないからね、店長は)。
 8時をすぎた頃、「あーあ、銀座社長命令、晩飯はおあずけ、か」と、消防隊の口調を真似た次長のかったるそうな声がしたが、だれも返事しなかった。有金君もぼくも、昼間のうちにはしゃぎすぎて、口をひらく元気もなかった。おっくうで、だれもらんぶるのそばまで行って、その後の火事場の様子を見てこようとはしなかった。火事なんかもうどうでもよかった。
 消防隊長がようやくマイクで鎮火宣言を出したのは、夜の9時すぎだった。その声は、まだまだ力に満ちていた。タイムカードを押して会社を出たが、こちらはもうくたくただった。
 翌日、めやにがひどくて裏の眼科に行くと、きみも火事をながめていたのか、と先生がいった。きょうは朝から眼がただれた人でひっきりなしだ、よほど熱心に火事を見てて、灰と火の粉を浴びたんだね、と笑った。それから半月、ぼくは毎朝、目玉の消毒に通うことになった。
 教訓、おもしろうて、やがてかなしきらんぶるの火事。字あまり。