雑言

バブルがはじけて世間でリストラの嵐が吹き荒れたころ、築地の大A新聞でもリストラが進行していました。同時にIT革命も導入されて、古参の社員はパニック状態におちいったのでした。
 リストラの一環として、パソコンをひとり1台あてがわれることになりました。これは、文字の変換をパソコンならきちんとできるから、校正の必要がなくなって、校正部を削減することができる、という発想からだったようです。
 これに泣かされたのは、もうけっして若いとはいえない年齢の社員たちでした。彼らはパソコンもワープロも苦手だったから、それまで原稿はもっぱら手書きでやってきたのです。それなのに、今後手書きの原稿はまかりならんといわれたから、すっかり困惑してしまいました。
「文章もロクに書けない新入社員が、楽々とパソコンを打ち込んでいるんです。その姿を横目に見ながら、指先のままならない自分がじれったいったらありゃしません。オレは、署名付きの記事を書いてきた記者なんだぞ、と大声で叫んでやりたくなりますが、仕方ないのかな」。
 ぼくみたいに指1本でキーボードを叩いている男は、泣いたロートル社員たちの気持がよーくわかる。パソコンを採用して、校正部をなくそうと画策した幹部たちは、おそらく自分ではパソコンなんか使ったことがないひとにちがいない。改革の多くは、自分ではできないことをひとに押し付けることがよくありますからね。それで、中身に味もコクもなくなったら、取り返しがつかないとおもうけれど。料理だって、手間ひまを惜しむと、とたんに味が落ちるっていうではありませんか。
 「one's fingers are all thumbs.」(ゆびが全部おやゆび。不器用者)と英和辞典にありますが、もちろん、ぼくがキーをたたくのは、ひとさしゆびですよ。おやゆび1本で叩いていると勘違いするひともいないでしょうけど。

〈付記〉
 一枚の絵の本社の会議室兼応接室の壁に、竹田厳道氏が描かれた絵がかかっている。神社の石に腰かけた竹田氏の横に立っている男性が、ぼくには遠山一行氏に見えた。そういうと、山城社長が、  「川島勝さんよ、講談社の」と即座に答えられた。「描いたのは白根美代子さん。ご存じなくて?」。
 あいにく、ぼくはたいていのことに疎いから、川島氏も白根画伯もはじめてきく名前のようにおもえた。
「じゃあ、これ、あげるわね、白根さんの絵本」。
 ひらいたページをのぞくと、竹田氏と川島氏のその絵も載っていた。ぼくは口のなかでお礼を申しあげて、いただいて帰った。
 ところで、この絵本には奥付がないので、いつごろ発行された本なのかわからない。描かれている方たちが一様に若いから、ずいぶん前のものかもしれない。若かった井伏鱒二先生が編集者をしていたときに、奥付のない本をこしらえてしまい、恥じていったん職を辞したことがあったのを思い出した。
その後、たまたま「井伏鱒二全集」の別巻2に収録された「書誌」をながめていたとき、「トートーという犬」(井伏鱒二・童話と詩)という絵本が「白根美代子裝画・挿画」となっているのに気がついて、あ、とおもった。この絵本なら、手に取ったことがある。それなら、まるきり知らない画家でもなかった。それに川島勝氏のほうも、井伏先生に関する思い出の記「井伏鱒二―サヨナラダケガ人生ダ」を文春文庫で10年前に読んでいたのがあとになってわかって、ひとりで、なーんだ、とつぶやいた(物事が重層的に関係していることがよくある。井伏鱒二がらみでつながっていたのか。しかも、「トートーという犬」を出版した牧羊社は、川島氏の夫人の出版社だった)。
 閑話休題(それはさておき)。白根美代子画伯の絵本は、「風の中の肖像」(かじ社)。描かれた人物40有余名中にぼくの存じあげる方のお顔もいくつか見える。そのなかには、例の大A新聞の「署名入り記事」を書かれていたK氏の姿もある。