有金君 その4

嵐山で暇つぶしをして大損害したあと、太秦の顧客のお宅で商売をして、暗くなってからホテルに帰ってきた。その頃は、パレスサイド・ホテルが定宿だった。京都御所の西側に面していて、町中からは遠く離れていた。
 ホテルの近くまで戻ってくると、京都府警のそばに新しい定食屋の看板が見えた。ぼんやり灯った看板の明かりが、おいでやす、といっているように見えた。
「いったんホテルに入って、ここに食べにきましょうか?」
 有金君がいった。
「そうだね。きょうは、つまんなくお金すっちゃったし、晩飯は質素にいくか」
 ホテルの駐車場に車を入れて、ぶらぶら歩いて食事に出た。四条河原町界隈とちがって、このへんは住宅地だから、もうどの家も静かに閉まっている。普通の家並のなかに、ぽつんとある定食屋は、もう初夏なのに、近くで見ると、どことなく寒々していた。
 店のなかに、お客はだれもいなかった。がらんとした店内は、クーラーがききすぎて、肌寒いくらいだった。
 メニューを見ながら、「なんにします?」と有金君がきいた。メニューは2つだけ、「シュウマイ定食」と「かいわれ大根定食」しかなかった。
「ずいぶんシンプルだなあ。ぼくは、白菊みたいなところを想像したんですけど」(註、2004ー4−7「銀座の路地」参照)
 有金君が、場違いだったかな、といった口調でいった。
「このかいわれ大根ていうのは、どんなものかなあ?」
 ぼくは、どこかできいたことがあるような気がした。
「そうね、ふろふき大根みたいなものじゃないの」
「ああ、そうかな。それじゃあ、ぼくはかいわれ定食。それと、ビール」
「ぼくは、シュウマイ定食のほうにしよう」
 やがてテーブルの上に、それぞれお盆にのった定食が置かれた。ぼくのシューマイ定食は、御飯とみそ汁としば漬けがついて、シューマイがいっぱい並んでいた。有金君のかいわれ定食は、シューマイのかわりに、発芽したばかりの双葉のようなものが、お皿に山と盛られていて、その上からかつおぶしが沢山かかっていた。
「ふろふき大根はどこにあるんです?」
「これから、別の皿で出てくるんじゃないの」
 ぼくは、おかしいのを我慢していたが、こらえきれずに、おもわず肩が上下に小刻みに揺れた。当然、これで全部だろう。
「ひどいなあ。ぼくも、そんな予感、したんですよね。いったい、これ、どうやって食ったらいいんです?」
おかかがのっているから、きっと、その上から醤油をかけるんだろうね」
「なんだか、ひよこになったような気がする」
「うまくないの?」
「だって、葉っぱばっかですよ。ちょっとからいけど、かつぶしの味ばっかして、猫じゃないっつーの。シューマイ、何個かもらいますからね」
 有金君は、さもいまいましいというように、ぼくの皿のシューマイに箸を伸ばした。
「だいたい、ここの看板が目に入ったのが敗因だったよな。クーラー利き過ぎだし。ビールひとくち飲むたびに、いい気持になるかわりに、なんだかゾクゾクしてくるもん」
 有金君は、ブーブーいいながら、口一杯にかいわれ大根を頬張った。
 この日から、有金君の大好物は、かいわれ定食に決まった(「二度と食べないっつーの!」)。
(とりあえず、つづく)