課長になった頃 その2

 ぼくが課長に就任したのは、有金君が突然退職してすぐのことだった。ぼくがつられて辞めることを懸念して、とりあえず肩書きをあたえておこう、と会社が考えたフシがある。だが、ぼくはべつに有金君が辞めたことで、動揺などしていなかった。「課長」などという、それまでなかった役職を特別にこしらえて、慰留する必要なんかなかったのだ(ぼくが照れくさかったのは、いままでなかった課長職などにつけられても、ぜんぜん自分がえらいとおもえなかったし、それで仕事が格段にできるようになるわけでもなかったからだ)。
 新谷美智子さん(仮名)が入社したときには、まだぼくは平社員だった。だから最初は、新谷さんはぼくを名前で呼んでいたはずで、それがすぐに課長になって、急にそう呼ばなければいけなくなったぎこちなさが、はじめのうちはあったかもしれない(ぼくが課長になっても、当然のことながらだれも課長とは呼ばないで、前のとおり名前を呼んでくれていた。ぼくもそのほうが気が楽で、肩身の狭いおもいをしないですんでいた。ところが、会社というのは形式が好きだから、そんなことでは統制がとれないといって、わざわざ社内では役職名で呼ぶようにとお触れを出した。役職があって名前で呼ばれているのはぼくだけだから、だれが見てもぼくのために出されたお触れで、ぼくはほんとにきまりのわるいおもいをした)。それが、電車のなかでの新谷さんの、冷やかし半分の「カチョオー」という呼びかけになったような気もする。
 そんな具合にくっつけられた肩書きだったから、同僚も面白がってくれる人たちばかりではなかった。 戸惑いや憤懣をあからさまに見せる人たちもいた。荻馬場さんもどうやらそんな一人で、自分のほうが仕事ができるとおもっていた気配があって、内心面白くなかったようだ。「課長、お給料もらいすぎじゃないの」と、突然いわれたことがあった。こういうのって、返事に困る。別に高給とはおもったことがなかったし、できることならもっとほしいとおもっているのに、もらいすぎといわれると困惑するではありませんか。そして、役職のついたぼくのいうことは、なんでも「命令」にきこえてしまうらしく、指図なんかされたくないという反感からか、おもわず顔がゆがむようなこともあった。
 肩書きというのは、壁のようなものかもしれないが、それで人間が変わるとしたら、その人にもともとそういう要因があったということではないか。昼休みにコーヒーを飲みにいくと、ぼくは相変わらずくだらない冗談をいい、だれかがつっこみを入れた。ぼくは、すこしも変わってなんかいないし、変わるわけがなかったのだ。ところが、午後の会議に、店長、次長とともに、社長に呼ばれて会議室にはいり、決定事項をぼくが発表させられることになると、やはり課長は会社の側の人だから、とささやかれる(「課長には、もう、うっかりしたことはいえないわよ」)。
 店長が新谷さんを叱ったのは、そんなときだった。
 その日は、入荷した商品の値札付けに、手が足りなくて店からも手伝いにあがっていた。6階倉庫に女性ばかり4人が集まっていた。かぎ針で値札を商品に付けてゆく。手が動いていれば、単調な作業だけに、おのずとおしゃべりに花が咲く。声が大きすぎたのかもしれない。楽しくて、ふざけすぎたのかもしれない。
「静かに仕事しろ!」
 叱責する声が倉庫に響いた。見ると店長が部屋の入り口に立っていて、怖い顔でにらんでいた。こめかみに太い筋が浮かんでいた。そして、まだ言い足りないといった感じで、大声で怒鳴った。
「だいたい、新谷くん、きみはおしゃべりで、注意してもいうことをきかないって、課長もいってたぞ!」
(つづく)