赤岩さん その2

 ワイシャツの注文を受けたとき、有金君はワキグリをゆったり楽にするよう、申しつかった。それで、袖付けがすこし大きめに出来ていた。ところが、ピカ一洋服店(仮名)のほうはそんな指示を受けなかったので、普通の大きさに上着のワキグリを仕立てていた。だから、シャツよりも上着のワキグリのほうが小さいものだから、シャツを引っ張り上げて袖丈を短くしていたことが、ようやくわかった。
「まだ仮縫いの段階なら修正がききますから、上着のワキグリを、もっと大きくしてもらったらいかがですか?」
 と、有金君が提案した。
 真っ赤な顔を、もっと真っ赤にふくらまして、赤岩虎治氏(仮名)はじっと考え込んだ。きっと、ドイツ式に、正確無比な冷徹な判断をくだそうとしていたのだろう。額から汗がにじみはじめた。それが、腫れた瞼に流れ落ちてゆくのを見ると、なんかしみて痛そうだった。
 しばらく赤岩氏は微動だにしなかった。呼吸も忘れていたかもしれない。それから、うーん、としわがれ声でうなると、
「もういい」
 とあっけなくいわれた。なんとなく、ドイツ式からほど遠い結論のようにおもえた。
 赤岩氏にいわせると、ピカ一洋服店も、フジヤ・マツムラも、最高の見識でもって仕事をしているのだから、どちらにどうしろということはあたしにはいえない、どちらも正しいなら、あたしは別にこれでもいい、ということらしかった。フランス式のようにも見える見解だが、有金君には、面倒がなくなるのが、なに式であるにせよ、一番よかっただろう。
 赤岩氏の声は、せっかちで、しわがれていた。そして、咳き込むようなしゃべり方が特徴だった。ぼくは、かげで、よくひとの物真似をしていたが、ようやく赤岩氏の真似が完成したので、練習の成果を試すために、日本橋高島屋に出向していた有金君に電話をかけた。
「あっ、有金さん? あたし、赤岩」
 電話の向こうで、有金君が緊張して、いずまいを正すのがわかった。
「はいっ、有金です。毎度ありがとうございますっ!」
 ぼくは、おもわず、ふふふ、と声をもらした。とたんに、「あっ!」といって、有金君が受話器を叩きつけた。わるいことをしたなあ、イタリア式だったかなあ、とちょっと反省をしていると、すぐに電話のベルが鳴った。有金君だった。
「いくら、えらいさんが出払ってて暇でも、わるい冗談でひとをからかうなよな。びっくりしただろ、似ていて」
 こんど、赤岩氏が、有金さんいる? といってみえたら、そのときはイギリス式に、直通の電話番号を教えよう、とおもった。
(つづく)