有金君 その9

 有金君が伊豆までの道順の地図を描いてくれ、こまごました注意事項を一覧表にしてくれた。
「王子から用賀までは、本当は池袋から首都高速にのるのがいいんですが、分岐点でうまく方向をかえられないと大変だから、なんだか無駄なようだけど池尻からのってください」といわれた。「首都高はかならず左側の走行車線を走って、制限速度を守るように」
 なるほど池尻で高速にのって、いくらも走らないうちに用賀の料金所だった。それから、いわれたとおり時速80キロを厳守して、厚木に着いた。80キロでもドアミラーはカクンと倒れてしまった。
「厚木からは、厚木・小田原道路に乗り継いで小田原西インターチェンジまで行きます。そこで高速をおりると一般道に出るから(早川のT字路)、そこを右に。あとは道なりに行けば、やがて伊豆東急インの看板が出てきます。くれぐれも、それ以外の道路は使わないように」
 準備をしていたある晩、自宅の電話が鳴って、受話器をとると有金君だった(註、渋谷パルコで買った受話器はアメリカ製ので、しばらくするとそのお店の名前が有名になった。フルハムロードといった)。
「あのさ、今晩は。こんど伊豆の東急インまで行く話をうちでしたら、おやじが電話で話したいっていうのよ。替わるから、聴いてあげて」
 ゴソゴソと受話器をわたす音がした。
「あ、今晩は。有金の父です。息子がいつもお世話になっているそうで、ありがとう。ところであなた、じきに車で伊豆まで行かれるんですって? 運転免許、まだ取得したばかりだっていうじゃない。ああ、いいんですよ、副所長はよく知ってるひとだから、ご紹介だなんてとんでもない。
 それより、あなた、車は危ない乗り物だから、十分用心してかからないと怪我します。怪我ならまだしも、大事故になりかねない。聞けば奥様がごいっしょだそうだが、なおさら責任が重いですぞ。いいですか、これから、うるさいかもしれないが、運転についてお話するから、よくお聴きなさい。
 まず、道路には制限速度というものがあります。高速だけでなく、どんな一般道であっても、ある。これをきちんと守りなさい。20キロだとか、30キロというと、ひとは馬鹿にするものです。あなたがそれを守っていると、チンタラしやがって、といって、たいがいの車が追い越して行きます。なに、構うものか。相手は、あなたの車を追い越しながら、睨んで行くかもしれない。まさか、車を停めさせて文句いうひとはないでしょう、こっちが正しいんだから。いいから、あなたはちゃんと守りなさい。
 つぎに、下り坂ではアクセルから足を離して、きちんとブレーキに足をのせて、エンジンブレーキを利かせながら下りなさい。間違っても、下りでアクセルをふかさないこと。惰性で結構スピードが出るから、メーターをみながら、制限速度を越えそうだったらブレーキを踏む、軽くですぞ。ガソリンが節約になって危険が減れば、一石二鳥というものだ。
 それから、絶対に追い越し車線に出ないこと。バスのうしろにくっついても、延々ついて行けばいい。バスで行くひとは、バスより早く着くことはないんだから、バスに乗っているとおもえば腹も立たない、そうでしょ? とばして行っても、ゆっくり制限速度を守りながら行っても、到着時間に驚くほどの差はないものです。
 それと運転は、おもったよりくたびれるから、いいですか、平気だとおもっても、一時間ごとに休憩しなさい。眠くなったら、すぐパーキングかサービスエリアに駐めて、すこしでも仮眠するように。それだけで、ずいぶん事故が防げます。間違っても路肩に停めないようにね。
 事故といえば、ちゃんとJAFには入っていますか? 任意保険も十分かけておく必要があります。保険はケチっちゃ駄目ですよ。うん? かけてあるの? それならいい。起きてしまった不慮の事故の後始末まで考えて、はじめて車に乗る資格ができるというものです。
 交叉点の右折だとか、坂道発進だとか、あなたは苦手だそうじゃないですか。左へ左へと曲がって、左折ばかりでようやく右折の方向に出るというじゃありませんか。直接教えてあげたいが、そうもしてられないから、くれぐれも気をつけてお出かけなさい」
 ぼくは、有金君のおやじさんに、電話のこちら側で深々と頭を下げて、お礼をいった。
 おやじさんは、最後にいった。
「一番いいのは、車で伊豆になんか行かないことだ」
(ご想像どおり、つづく)