私の辞書

 いつも手もとに置いておく辞書は、「岩波国語辞典第二版」(註1)です。これでたいてい間に合います。もしこれに載っていない言葉があれば、「広辞苑」(註2)に当たります。こちらは第一版で、その後たくさんの言葉が補訂され、その都度版をあらためていますが、さしあたってこれで不都合を感じることがありませんので、今後も買い替えるつもりはありません。
 わからない漢字を調べる場合は、「角川漢和中辞典」(註3)をひらきます。この辞書と「広辞苑」は、高校の卒業旅行に参加しなかったので戻った費用の半分を、親からもらって購入しました。旅行先が四国金比羅参りというのに反対して、私のグループは奈良京都を主張しましたが、少数意見で却下され、それなら行かない、と居残り授業を受けたのでした。
 
 註1、1976年7月20日発行、第2版第7刷(その前はこの辞書の第1版を使用していましたが、表紙の付け根の部分のクロスが痛んで折切れ、指がひっかかるようになったので、そのうち表装しなおそうとおもいながらしまってあります。それの奥付には、1967年3月20日第13刷発行、と見えます)。
 註2、1966年4月10日発行、第1版第20刷。
 註3、1967年1月25日発行、72版。
 
 〈付記〉
 旅行に行った連中が戻っていつもの授業がはじまると、なんとなく教室じゅうが生臭く感じられた。まわりの顔をうかがうと、こころなしか眼がつり上がっているように見える。そして、ときどき、だれかが咳ばらいをすると、ケンケーン、と毛ものの鳴く声のようにきこえた。なんだか気味が悪いな、とおもったが、それはきっとこちらの気のせいだったのだろう。臭いも声もいつの間にか気にならなくなった。そのかわり、旅行に行かなかった私のグループのなかでも、やがて一人また一人と、眼がつり上がりはじめた。
(「私のニセ東京日記」が紛れこんだようです)