H氏の話 最終

 ウンコ退職事件の原因となったあのH氏が、その後どうなったか、おたずねになるかたがあるかもしれない。ないかもしれないけれど、お話しします。
 荻馬場さんが退職したあとも、性懲りもなく(といういいかたは、お客様には失礼だけど)H氏はしょっちゅうやってきた。そのたびに、最初に気づいただれかが、いそいで裏から椅子をもってきて、きれいなほうと入れ替えた。
 荻馬場さんがいなくなっても、銀座の店はべつになにも変わらず、空はあいかわらず青く、風はいつものようにさわやかに吹いた。いたときには、なくてはならない人のようにおもえたのに、いなくなっても、いないまま、すべてがすんなり前のとおりに運んでいく。荻馬場さんの顧客だったかたも、べつのだれかに相手をされて、とくに支障は感じておられないように見えた。フランス人なら、シャンソンにかえて、それが人生さ、というかもしれない。しかし、ぼくは信じない。それ相応の復讐が、人生には用意されていることを知っているから。
 ある日、またH氏がひょっこりと現れた。そして、つかつかとぼくの前まで来ると、「ワイシャツ作ろうかな」とおっしゃった。ほかの顧客の相手をしていた釜本次長が、それをきくと、こっちに来たそうな素振りをみせた。しかし、まさかその顧客を放り出して来るわけにはいかない。そちらは、なかなか決まらなくて、さっきから、いいかげん、じれていたのだ。
 H氏は、ぼくが見せた何点かの生地から、「これはどうかな」といって1枚取ると、胸のあたりでひろげて、鏡に映してみた。「これがいいようにおもうけど、きみが専門家なんだから、選んでみてよ」。
 それをきいて、じっとしていられなくなった次長は、あわててこちらに飛んできた。そして、H氏がもっている生地をひったくるようにすると、「そうですね、これがいいんじゃないですか」というや、ちらっとぼくを見て、H氏を反対側のケースまで引っ張っていった。放り出された顧客が、むこうのほうで、ブラウスを着せられたまま、うらめしそうな眼で次長を追っていた。ぼくは、やれやれといった気分で、その顧客(荻馬場さんがかつて担当していた)のそばに行った。初老のご婦人は、声をかけると、ほっとしたように眼をしばたたいた。
 「あのかたが熱心にすすめてくださるから、あまり気にいらないけど考えていたの。でも、これ、よすわ。それより、きょうは、ほんとは、ハンドバッグが見たくてまいりましたのよ」
 それから、いくつかのハンドバッグを腕にかけて、そのたびにおすましの顔をつくって鏡を見た。次長は、気配を察すると、こちらにもどりたそうにしたが、H氏が放さなかった。「ほら、釜本さん、よそみしてないで、ちゃんと寸法測ってよ」。
 箱詰めしたハンドバッグがはいった袋をさげて、「どうもお世話さま。とても気に入ったわ」とぼくにいって、婦人は帰られた。次長は、なんだかぼんやりしたようで、あいまいに挨拶した。
 売り上げ伝票は、売った担当者がサインをする。現金伝票と貸売り伝票があって、その場で代金をいただくのが現金伝票、お帳面でお買い物をしてあとから入金をいただくのが貸売り伝票だった。
伝票をたくさんあげるのが、成績が良いということだったが、ぼくはあまりこだわらなかった。だれが売ったって店の売り上げになるわけで、おれがおれが、という姿勢は、趣味じゃない。結局、そういう確執が、いつか爆発して、次長と荻馬場さんの喧嘩のような、ばかばかしい結末をむかえたりするのだ(商売をラグビーにたとえたことがあるけれど、ボールをつないで、とにかく相手のゴールを奪うことが大切なので、だれがゴールしたってかまわない。自分がゴールしたくって、味方のもってるボールをひったくるなんてことはないだろう。それとおなじで、接客しているだれかがすすめているときに、べつの物をもってきてすすめるなんて、じつにばかげている。けれど、伝票に自分の名前を書きたいばかりに、そうする人がいるのである。もし、いまおすすめしているものより、こっちのほうがいいんじゃないかな、とおもったら、接客している人にそういうべきで、いわなければ、もちろん、お客様に不親切である。お客様が喜んでくださることが、一番なのだから)。
 ぼくがハンドバッグの現金伝票をあげていると、「よかったね」といって次長が寄ってきた。自分もH氏のワイシャツの伝票をあげるために、貸売り伝票を手に取った。ワイシャツといっても、特別の仕立てだから、1枚6万円弱した。よく、もうすこし出せばジャケットが買えるぞ、と顧客から冗談をいわれた。ぼくの伝票は、その3倍の金額だった。
 それから、ワイシャツが出来上がっても、H氏はいっこうに顔を見せなかった。次長は、電話がつながらないので、ご自宅の住所にあててなんども手紙を書いた。それでも、返事はなかった。入金のない場合は焦げ付きだが、おかげでぼくは20年間、1円の焦げ付きもなかった。焦げついたら、担当者がなんとかするしかない。そのために、伝票にサインをするのだから。
 しばらくして、H氏の姉というかたから手紙が来た。H氏は、精神不安定で入院されていることが書かれていた。復帰のめどが立たないとあった。
 釜本次長は、しかたなく、自分でH氏の貸売り分を穴埋めした。ささやかな額とおもうか、大金とおもうかは、その人しだいである。ぼくは、自分で尻拭いしなければいけないような仕事はしなかったし、(まったく危機を感じなかったわけではないけれど)貸売りするかぎりの顧客は、ぼくに迷惑をかけようなんておもってもみなかったにちがいない。一所懸命仕事をするというのは、そういうことである。
 釜本次長は、そのことが人生におけるささやかな復讐だとは、おもわなかったんじゃないかな。その後もおなじようなことをくりかえしたから。