おおみそかの思い出

 ぼくが入社した時分は、年末は31日の夕方6時ごろまで営業していた(昭和52年当時のことです)。
 大晦日は大掃除で、朝礼が終わるといっせいに店の掃除をはじめた。もちろん、事務所は事務所で掃除をした。自家用車は有金君の係だったから、有金君はもっぱら洗車にあたった。
 有金君は地下駐車場から車を出してきて、店の前のみゆき通りの舗道よりに駐めると、ホースで水をかけて車を洗い、拭いて乾かしたあとでワックスがけをした(代々、店の車はセドリックのバンで、でかいからずいぶん手間がかかるし、外は寒い。有金君は、ひとりで黙々とやっていた)。これがひと通り終わるころには、店のなかの大掃除のほうもあらかた終わって、時計を見るともうお昼である。
 銀座のお店は、たいてい29日か30日までで正月休みに入ってしまった。31日までやっているのは、デパートとかぞえるほどの店しかなかった。だから、食べ物屋のほうも、年末はあらかた早めに終わってしまって、昼飯が大問題だった(と書いて、そのとき、いったい、どこでなにを食べたのか、忘れている)。
 綿貫君がいたのは、もっとあとのことだが、遠くまで歩いて吉野家の牛丼を食べに行った。吉野家をさがしてきたのは綿貫君で、綿貫君といっしょに遅番をやるときは、晩めしはたいてい牛丼だった。牛丼の食べ方は綿貫君に教えられた。
 綿貫君は、いつも大盛りの牛丼をたのんだ。それに玉子をつけて、まず小鉢に玉子を割った。軽くかきまぜて牛丼の上からかけ、その上に紅ショウガをまんべんなくのっけた。牛丼ではなく、紅ショウガ丼みたいになった。それから、七味唐辛子を手にとると、紅ショウガの上から癇癪持ちのようにふりかけた。これでは、食べるときも辛いかもしれないが、翌朝もおしりが辛いような気がする。そして、丼を持ちあげると、丼のふちに口をあててやにわにかきこみだした。どこがエレガントだ。
 ぼくは普通盛りで、玉子をかけ、紅ショウガをうんとのせ、七味は適当にふりかける。ただ、丼に口をつけ、かっこんで食べるのは見習った。そのほうがうまい。しかし、綿貫君がいっしょでないときは、こういう食べ方はできない。ぼくがエレガントなせいだろう。
 午後からは、もうやることがない。お届けものも、もうない。せまい店(15坪足らず)のなかに、部長、店長、次長のほか、男性3名、女性4名が並んでいると、息がつまる。ふだんなら、砂糖部長の顔つきが険悪になって、店のなかにこんなにひとがいたんじゃお客様が入りづらいだろ、と怒鳴られて、倉庫にでももぐりこんで整理整頓するところだが、きょうは部長もニコニコしている。
 おとなりのきしやさんは、きのうでお休みだが、毎年、お正月にウインドウに宝船を飾るから、大晦日は草月流から家元がみえて飾り付けをする。ぼくらが掃除を終えるころにはもうできあがっているので、それを眺めに行く。それでも、時間はたたない。近所のピカ一洋服店(仮名)のウインドウを眺めに行く。それでも、時間はたたない。デパートは混雑しているというが、みゆき通りは人通りがすくない。あっちこっちのウインドウを眺めるうちに、ようやく日が暮れはじめる。
 夕方、鎌倉の会長(先代の未亡人で名誉会長)が八幡様のお札を持ってやってくる。神棚はきれいに掃除してお水もとりかえてある。はしごをかけて昇ると、火打石をおろして、お札にカチカチやってもらって、古いのと交換する。古いのは鎌倉の会長が持って帰って、八幡様に返納する。「むかしはねえ、タカシマさん、表に提灯ぶるさげて、大晦日の晩の12時ころまでお店をあけてたもんなんだよ、どこのうちでも。すると、どこかの除夜の鐘がきこえてきてさ。新年の挨拶をして、おとそを飲んで、それから家に帰ったものだよ」。
 永福町の会長が会長室(この部屋は、社長がいるときは社長室といい、会長がいるときは会長室といった。知らないひとは、別々にあるとおもうだろう)からおりてくる。「ああ、みんな、ご苦労さん」。
 あとから、社長もおりてくる。「掃除、終わった? 全員揃ってるの?」。
 事務所の銀河さんがレジしめにおりてくる。「もうお客様みえないでしょ? レジ、しめていい? 入金あるなら、早くしてよ」。
 なんだか狭い店内にひとがごったがえして、明治神宮の参道みたいになってくる。夕礼がはじまるころには、事務所からあと女性3名と倉庫のおじさんがおりてくる。
 まだシャッターを降ろすには早いのに、社長の夕礼がはじまる。
「話はすべて朝礼ですんでいるので、ひとことだけ。1月6日の顔合わせには、みんな元気で、風邪など引かぬようにして出社してください。このあと、年寄りだけで残って、むかし話をしながら店番しますから、若手は帰ってもよし。1年間ご苦労様。よい年を迎えてください」
 大晦日、時間前に帰してもらったのは、この年だけのことだった。だんだん、自分が残る側にまわっていったのは、もっとあとのことだけれど。
 綿貫君は、大晦日の閉店後、地下鉄の駅に向かいながら、いっしょに歩いていて急に立ち止まった。お昼に吉野家に行った日のことだ。あれ、とおもって、ぼくはふりかえった。
「ぼく、なんだか、お腹すいちゃったな。タカシマさん、ちょっと牛丼食べて帰りませんか?」
(本年の「ギンザプラスワン」はこれでおしまいです。ご愛読ありがとうございます。来年もどうぞよろしく。来年のことをいうと鬼が笑う? いいえ、笑っていたのは、砂糖部長でした)