田舎の道

 さっきからずっと田んぼの中を歩いている。向こうのほうに岡のような台地がみえるが、そこへ上がってゆく道がない。歩いている一本道から、台地に向かって、いくらでもあぜ道が伸びてはいるが、どれも台地のへりにぶつかって、そこで消えてしまっている。田植えが済んだばかりの田んぼは、まんまんと水をたたえて、その表面が通り抜ける風をうけて小さくさざ波を立てている。もうすぐ日が暮れる。
 駅からにぎやかな道を歩いて来たが、だんだん家並みがとぼしくなって、とうとう気がついたら農家の間を抜けるほそい道を歩いていた。そのへんで、戻ればよかったのだ。意地になって歩きつづけたものだから、いつの間にかさびしい田んぼの中を歩くはめになった。
 はじめてうかがう蜜野庄助氏(仮名)のご自宅は、会社で地図で見たとき、たしかにこの方向だった。あまりに簡単な道筋だったので、地図は持ってこなかった。しかし、簡単にしか描き用のない地形があるものだ。たしかに、ここなら一本道で、その一本道のどこからでも蜜野氏の町に入って行けそうに見える。実際には、見えるだけで、蜜野氏の町には段差があって、町の方向にすすんでいけば、高い崖にぶつかってしまう。こんな崖になってるなんて、地図ではまったくわからなかった。
 どこまで続くのか知れない一本道を歩いてゆくうち、いつしか日が落ちて、あたりが薄暗くなった。そのかわり、台地の上に灯りがともって、明るく輝いて見えるから、なおさら足もとが暗くおもえる。
 この一本道がどこかにたどりつくまで、遠回りでも歩かなくてはならない。そうおもって歩いてゆくと、向こうから誰かが来るのが見えた。暗い影になっているが、農家の人のようで、蓑笠をつけて鍬を背負っている。いくらなんでもクラシックすぎるような気もする。こんな格好はぼくが子どものころのお百姓の格好だ。しかし、誰にも会わないよりはマシだろう。
「今晩は。ちょっと道に迷ったようなんですが、この道を行くと海神に出ますか」
 ぼくは、声をかけてみた。顔をあげた相手は、もう相当の年配だった。ぼくを見る眼に焦点が合っていなかった。やや間があって、老人が口をひらいた。
「おれさも迷ってるんだ」
 そういって、ぼくのほうにもたれかかってきた。すっぱいようなにおいがした。手を伸ばして、ぼくをつかもうとした。「迷ってるんだ、ずっと。ヒヒヒ、教えてくれ、おれさどこへ帰ればいいんだ?」
 ぼくはぞっとして老人から身をかわすと、脇をすり抜けて、あたふたと前に駆けだした。だいたい、いま時分、あんな格好でここを歩いているなんて、おかしい。以前、飛鳥山でふり返ったら消えていた女性がいたが(註、2004-08-15「私のニセ東京日記」参照)、ぼくはそんなものが見える体質なのか。また、ふり返ったらいなかったなんて、もう堪えられない。追いつかれそうな気がして、息が切れるまで一気に走ると、足がガクガクして立ち止まった。からだをこごめてハアハアと息をした。そのとき前のほうから、突然パタパタとサンダルの足音が近づいてきた。またか。ぼくの腕に鳥肌が立った。
「あのー」
 暗がりからヌーッと白い顔がうかびあがると、赤い大きな唇が話しかけてきた。
「フフフ、鍬を持った年寄りを見かけませんでしたか? 」
 おじいちゃんが、最近、認知症になって、物置から昔の道具を引っ張りだして、徘徊して困るんだとさ。海神へは、海神駅でおりるとかえって厄介だから、西船橋駅のほうがいいんだってさ。この一本道は、その西船橋まで続いていて、もう、すぐその先なんだって。ああ、こわかった。たどりつけないかとおもった。
(なんでこんなおもいをしてまで蜜野氏のお宅に行かなくてはならないのかは、次回で)