ぼくの夏休み

 それは、8月はじめ、繁忙期も一段落して、ようやく夏休みにはいった朝のことです。数年まえから、夏休みの計画を立てることを、あきらめていました。なぜって、せっかく旅行にでかけようと、ちゃんとはやくから予約をいれて、準備をすべてすませて、いざ出発という寸前に、かならずなにか問題がおきたからです。けっしてケチだなんておもわないでください。
 予定を立てない理由の、半ダースほどは即座にあげることができますが、たとえばそのときしのびよっていた事柄なんてのも、立派な説明になるんじゃないでしょうか。
 ふだん代休もとれずに奮闘しているので、夏休みぐらい大目にみてもらおうと、おもいきって1週間とることにしました。さいわいトラブルもなく、やるべき仕事はすべて片づけて、居残り組に、雨男でしょ、天気だいじょぶ? とにくまれ口をたたかれながら会社をでました。
 そして、待ちに待った夏休みの初日です。ゆっくりと目をさまして、のんびりと遅い朝食をとっていました。テレビの天気予報は、ずうっと晴れだと告げています。ひさしぶりに車でどこか遠出をしてもいいな、とはなしているときでした。電話のベルが鳴ったのです。食べかけのパンを、あわててコーヒーで呑みこんで、ひと呼吸してから受話器をとりました。
 電話線をとおして、あかるい、はずむような女性の声が届いてきました。K建設の秘書のO嬢です。「お休みのところ、申し訳ございません。相談役がワイシャツの生地を拝見したいと申しております。会社にお電話したら、ご自宅の番号をおしえてくださったものですから。さっそくですが、本日午後4時においでください」
 受話器をおいたあと、まあ、まる1週間の夏休みのうち、1日くらいどうってことないや、とおもいました。それにしても、もしぼくがでかけていたら、店はどのように対応したのだろう。午後からスーツに着替えて店に顔をだしました。居残り組はにやにやしています。「K様じゃあ、きみ以外には無理だからねえ」上司がとりなすようにいいます。ごらんに入れる生地を揃えて、お約束の15分前に受付をたずねました。
 通されたいつもの会議室でお待ちしていると、K氏はさっとドアをあけて、猫のような軽い身のこなしではいってこられました。「時間がないので、あとで選んでおきますから、きょうは預かるだけにしますね。また、日時を連絡しますから、あなた来てください」 
 翌日、秘書のO嬢から自宅に電話がありました。「明日水曜日、4時にお待ちしています」
 連休のあいだにとびとびに用事ができると、たいていまとまりがなくなってしまうものだけれど、休みの日の午後4時に用事があるというのも、なかなか1日にしまりがなくなってしまうようです。れいによって15分前に受付にうかがいました。K氏は、猫のようにさっとあらわれました。生地をいただけば、ひと安心です。まだあと半分、夏休みは残っています。半ダースもご注文をいただいて、お礼を申しあげてかえろうとしたとき、ああ、そうだ、とK氏は思い出したようにいわれました。「ついでだから、カジュアルな半袖シャツもつくろうかな。そうね、あさっての同じ時間に、カジュアルな生地、揃えて持ってきてくれますか」
 金曜日の4時、K氏は、つつがなく、半袖用の生地を選んでくださいました。ふうっ。
 猫のような軽い身のこなしでドアにむかったK氏は、ふと立ち止まると、「あしたから休暇で海外にでかけるので、シャツはべつにいそぎません。出来上がったら自宅に届けておいてください。だれか留守番がいますから」
 そして、「そうそう、あなた、夏休みだったんですってね。どうも、ごくろうさま」とおっしゃっると、にやりとしてドアから消え去られたのでした。

 (ぼくは、これを、自慢話としておはなししたんですが、おわかりでしょうか)