シティー・ホッパー

 シティー・ホッパーとは、町から町へとんであるくヒコーキのことをいうらしい(田中小実昌著「ふらふら」光文社文庫)。バーからバーへはしごしてあるく人を、バー・ホッパーと言うんだそうだ、とも書いてある。だらしない呑み助が、こうよばれると、ぐんと格があがるような気がする。ジョン・J・マローンやジャスタス夫妻がきいたら、きっとよろこぶだろう。
 ぼくの車は、ちっぽけで、遠出には不向きかもしれないが、都内をホッピングしてまわるには十分だ。こんどから、シティー・ホッパーとよぼう。
 まえの車は、ドイツのヴィータだった。ヤナセは、外国車のほかに洋品雑貨も輸入していて、ファッション商品部という部門があった(いまでもあるとおもいます)。当時の担当のタカハシさんが、こんどの小型車は評判いいですよ、とおしえてくれたので、口をきいてもらったが、半年またされて、忘れたころにやってきた。これはちいさいけれどよくはしる車で、ずいぶん活躍してくれたが、所沢にお墓まいりにいった帰りに、清瀬のあたりでUターンしようとしたとき、農家の雨戸につっこんでバンパーがふたつに裂けてしまった。謝るぼくに、「よーくお祓いしてもらってからは、ずーっと飛び込む車はなかったのに...」と、その家の奥さんは、陰気につぶやいた。あとで保険屋さんが、「調査したところによると、なぜかみんな、あの家の前で急にUターンしたくなって、これまで相当数の車が事故ってますね」と、おしえてくれた(それって、こわいじゃないの)。
 ぼくの車は、修理してできないことはないけど、ゆがみは直らない、といわれた。むかし、柔道の時間がおわって、ついうっかりしたところをみんなに胴上げされておとされたことがある。高校の2年のときだ。そのときは、痛かったけれど、あははは、とわらってごまかした。10年くらいして腰痛がでて、形成外科でみてもらったら脊椎のしたのほうが微妙にずれていた。治療でなおりますか、ときいたら、ずれたものは直らないよ、とシビアなこたえがかえってきた。それをおもいだしたら、車には気の毒だが、のりかえようとおもった。
 ちょうど、ヤナセルノーを引き受けて、販売に苦戦している、という記事をみたばかりだった。もうフジヤ・マツムラもなくなっていて、ファッション商品部とも関係なかったが、ヤナセの副会長さんは、ぼくのシャツのお客様でもあるし、ぼくが1台購入したところでたいして効果はのぞめないが、気持のモンダイだから、ルノーを選んだ。そのとき、この車が、にやりとしたのに、ぼくは気づかなかった。
 シティー・ホッパーでは、顧客のもとへ外商したり、生地問屋へ仕入れに行ったり、職人のアトリエを往復したりと、仕事のうえでもぴょんぴょんとんであるいている。このルーテシアという車は、ルノー5の後継車で、必要十分の大きさと機能を備えている。なにより、街の小さな高級車、というキャッチ・コピーが、ぼくにはうれしかった(フランスは農業国だというのに)。
 ぼくは、黒を希望したが、黒はもう1台だけしかのこっていなくて、青山のショウ・ルームで商談中だからしばらく待ってほしい、といわれた。だめならほかの色でもよかったのだが(そのほうがよかったかもしれない)。黒い車は、ぼくのもとへきた。そして、1週間目に、運転席側のガラスが、風にあおられて割れた。1ヶ月目にスピード・メーターが動かなくなった(フランスから取り寄せるのに3ヶ月かかった)。そのあとで、コンピューターが狂って、そっくり取り替えた。パワー・ウインドウがはじめに運転席側、つぎに助手席側が作動しなくなった。クーラーが2度、こわれた。ドアの隙間から、大雨のときには水がしみこんできた。オート・マティックなのに、ときどき交叉点で信号待ちにエンストすることがあった。これらを、ひとつひとつ辛抱強く、解決していった。機械だから、完璧なんてありえない。でも、信頼できなければ、安心してのっていられないだろう。最近、ようやく、まあまあのところまできた。ぼくは、この車が、おもっている以上に好きなのだろう。
 ルノーヤナセの手をはなれたころ、副会長さんに呼ばれてお目にかかった。寸法を採り直しているとき、ルノーはおやめになられたんですね、とぼくはさりげなくきいた。副会長さんは、かおりのよい葉巻をくゆらせながら、さわやかにいわれた。「そう。でも、修理とかサービスのほうはつづけるからね。ところで、車の調子はどう?」 「はい、調子いいです」と、ぼくはいった。