ピサの斜塔もこんなにかしいでいるのかしら。そうおもわせるくらい、スイスの2階はかしいでいた。2階の床、ということは、1階の天井のわけだけど、どう考えてもわざとそうしたとしかおもえない。ボールをおとせば、たちどころに一方の隅に転がっていっただろう。いくつか置いてあるテーブルも、ぜんぶ斜めにかたむいていて、コップの水も、いっぱいまで注いでしまうと、置いたとき、あふれでた。おかしいのは、床の傾きが全体に均一ではなくて、テーブルによってマシなのもあったから、よく知ってる常連のひとは、いちはやくそこに席をとるのでした。
 スイスは、みゆき通りからちょっとへこんだところに立っていました。宝石店のわきが、袋小路になっていたのです。ぼくは、スイス、としかおぼえていませんが、キッチン・スイスだった、というひともいますし、グリル・スイスだ、というひともいます。スイスねえ、そういえば、あったよねえ、あれ、いつなくなったんだっけ。ほんとに、いつなくなちゃったんだろう。
 ぼくたちは、いまあるものは、ずうっとそのままありつづける、とおもっている。でも、そうじゃないってことが、だんだんわかってきます。あることが、あたりまえなはずなのに、へんですねえ、なくなっちゃうのは。ところで、それがあるあいだ、あなたは大事におもってましたか。あたりまえにそれがあれば、わざわざ大事におもったことなんかないよ。だって、あるのがフツーなんだから。そうですよね、ぼくも、ずっと、そうでした。これからだって、きっと、そうなんでしょう。あるとき、あっ、と気がつくのですが、のど元すぎれば、すぐ忘れちゃいます。忘れることで、ぼくたちは先にすすめるのだ、と哲学の本に書いてあったようにおもいますが、忘れました。
 スイスでは、と昔の同僚はいいました。ランチを食べていたな。牛肉か豚肉か忘れたけど、野菜といっしょにいためたやつ。スイスってきくと、それしか思い出さない。あのさ、さいしょにカップでスープがでたじゃない、とぼくがいいます。あれって、コンソメだった? ポタージュだった? さあ、わすれちゃったな。それで、ほかにはなに食べた? おぼえてない。ぼくは、オムライスばかり食べてたような気がするの。ふーん。それで、カミさんは、ドリアしかたのまなかったっていうんだけど、偏食だったから。へえ。それと、オーナーの奥さんが、レジにいたでしょ? 小柄で、色白で、丸顔で、金縁のメガネに、金のロレックスしてた...。うーん、おぼえてない。
 いつだったかのある日、スイスは、とつぜん、閉店した、ような印象がある。ぼくたちは、スイスへ歩きかけては、ああ、もうないのか、といって、べつの店へむかうのでした。しばらくして、ひとりでのぞきにいってみると、金網の塀が立っていて、スイスの建物はもうありません。スイスのあったところまで更地になっていて、新しいビルが建築されるところでした。そして、やがて、宝石店のとなりのビルが改築されたとき、スイスへはいってゆくあの袋小路の狭い路地も、消えていったのです。...ところで、6丁目7の1と2のあいだに、4分の3という住所があって、うまく抜けると、ダイアゴン横丁の「漏れ鍋」ならぬ、歌舞伎座裏のスイスにでられるというはなしですが、あなたは信じますか?