喫茶店ロバの耳

 銀座並木通りに面した古いビルの地下に、その喫茶店はありました。
 せまい急な階段をおりると、厚いガラスのドアで、ちょっとちからをこめて押すと、すきまからヴォリュームいっぱいの音楽があふれだします。店内は、もうもうとしたタバコのけむりが、音楽とからみあってうずをまいていました。無愛想なマスターが無言で水のはいったコップをテーブルに置きます。そして、注文をとると、無言でうなずいてカウンターにもどります。やがて、コーヒーが出てきますが、ひとくちすすってみると、これがおそろしくまずいのでした。
 しかし、ここは最高にくつろげて、とにかく気持のやすまる場所でした。仕事の休みの日にも、わざわざまずいコーヒーを飲みにでかけました。ずっと以前になくなりましたが。いま、バリーのビルがあります。
 ぼくは、ここで、カミさんに結婚を申しこみました。知り合って、2年目でした。それから、結婚するまでの4年間、銀座で待ち合わせするときは、かならずここでした。仕事の都合でカミさんを(いや、まだ、婚約者だな)待たせたことが、何度もありましたが、ここならぜんぜん苦にならない、といってくれました。あのマスターが、おかわりのコーヒーをサービスしてくれたり、ほんとは演劇青年だったことを、こっそりはなしてくれたりしていたからでしょう。でも、さすがに3時間待たせたときには、ぼくも青くなりました。彼女は、奥の席で、ニコニコ笑っていました。しかたがないわ、仕事だもの。もうすぐ、わたしの誕生日だし(なんで、だし、なんだ)。結婚20年、いまでも、カミさんがみょうにニコニコしていると、なに買ったの? と反射的にきいてしまいます。
 植草甚一「映画だけしか頭になかった」(カヴァー・本文裝画=和田誠 晶文社)という本の表紙の絵には、ディレクター・チェアにすわって、樽のテーブルにひじをついた植草さんが描かれています(絵にはありませんが、赤い実をつけたコーヒーの木のイミテーションが立っていました)。この絵の店が「ロバの耳」です。この本をとりだせば、いつだって、あの喧噪と口にのこるコーヒーのにがさが、もどってくるような気がします。
 (1973年に美術出版社から上梓された「和田誠肖像画集 PEOPLE」に付けられた解説「PEOPLEのためのノート」に、「ぼくのスケッチのために植草さんはわざわざ会ってくださった。ディレクター・チェアに坐っているのは映画の本だからではなく、一緒に入った銀座の喫茶店が偶然こういう椅子を使っていたのだった。」と、和田先生は書いておられる)