銀座のクリスマス

 クレイグ・ライスの「大はずれ殺人事件」(小泉喜美子訳・早川書房)第一章には、1940年代のクリスマス前のシカゴの街がどんなにごったがえしていたか、描かれています。
 「〈ボストン・ストア〉の大時計の真下で、群衆はほとんど身動きもできぬくらいにひしめいていた。買い物客たちは動く玩具でいっぱいのウインドウのほうへと押し寄せる。また、他の一群は建物の回転ドアのなかへなだれこもうと必死になる。さらにべつの一群がそれぞれ四方八方、好き勝手な方角へ行こうとしてこの混雑のなかをかき分け、もみ合うのである。」
 銀座にもクリスマスの頃にごったがえした時期があったそうです。ぼくが入社するずっと以前の話で、お札を輪ゴムで束ねて、段ボール箱で運んだなんて話を、よくきかされました。当時は机の引き出しをレジ代わりにつかっていたようで、それがすぐにいっぱいになったそうです。とにかく店のなかは立て込んで、酔っぱらいも交えて、大にぎわいだったといいます。(そういえば、ぼくの小さい頃、酔って帰ってきた父が銀色のマスクをつけて、三角の赤い紙の帽子をかぶり、グリーンのモールの首飾りのようなものをかけていたのを思い出しましたが、きっとそのころのことでしょう。銀色のマスクは気味がわるく、怪人二十面相をおもわせました)
 ぼくが知ってる銀座は、もうそんな空騒ぎの時期をとっくに終えていて、クリスマスだって静かでした。クリスマス・プレゼントを買いに見えるお客様にしても、ごったがえすなんてことはありませんでした。でも、年に1回だけ、その日だけお買い物に見えられる方もいらしたのですから、やはりクリスマスのおかげなのでしょう。
 ある年のクリスマスの晩、 静かな通りを、暖かい店内からガラス越しに眺めながら、いつしか先輩が昔ばなしをはじめたのを、きくともなしにきいていました。なかなか意見が合いません。古い出来事なんか、見解の相違で、違っていて当然でしょう。けんかになる前にもうやめておいたらいいのに、とおもいながらきいていました。二人は仲がいいのですが、その分けんかもよくするのです。そのうちに、クリスマスの買い物でどなたがいちばん買いっぷりがよかったか、なんて話題にとんで、それまで意見が噛み合なかった二人が、同時に、「Yさん!」と叫びました。
 Yさんというのは、電通の社長だったY氏のことで、ふだんから買い物の多いかたでしたが、そのときは格別だったといいます。ドアを開けて入ってくるなり、「ここに飾ってあるハンドバッグ、全部包め!」
 あの棚に並ぶハンドバッグの数は、たしか20本くらいでしたでしょうか。クリスマスのにぎわいも、段ボール箱でお金を運ぶのも、はなばなしい伝説が生まれる時代も、その頃が頂点だったのでしょうね。ぼくは火を落したあとの風呂に入ったような気が、銀座に勤めてからずっとしていました。入ったときには気にならなかったのに、だんだん冷めてゆく感じがつきまとっていたのです。