有金君

 有金君のはなしをします。
 有金君はぼくより6歳年下でしたが、同じときに入社した同僚でした。彼にも訳があるらしく、あと1年で卒業なのに、なぜか中退したのです。父上が経営していた銀座のおにぎり屋さん(西銀座デパートのなかにあったといいます)が廃業することになったため、とききましたが、あと1年くらいならアルバイトでもすれば、どうにかなりそうじゃありませんか。
 有金君の家は、原宿にありました。東郷記念館のそば、明治通りが曲がっているあたりを、ちょっと入ったところでした。敷地のなかに、おばあちゃんの家と有金君の家をふくめて親族の家が、何軒かかたまって建っていたといいます。それって、お金持ちのボンボンじゃないの。そのとおり、彼は永田町小学校、麹町中学を経て、D大学付属高校に入学します。まあ、育ちも頭もわるくなかったんですね。当然、D大学に進学しましたが、ゆくゆくは親の跡を継いで経営者になるつもりでした。夏休みとかには、手伝いのアルバイトもしたそうです。もう10センチ背が高かったら、と彼を見ただれしもがおもいました。本人だっておもったでしょう。モデルか俳優になれるのに。それくらいハンサムでした。おまけに有金君は、スポーツマンでした。ラグビーで、ほらいるでしょ、スクラムのうしろに構えていて、自軍の選手が股の下からだしてきた玉をサッととらえて、よこの選手に素早くパスする役割の小柄な選手が。有金君のポジションはそこでした。その当時の学生選手のなかで、最速のパスをすると評判だったそうです。有金君より3歳年上の綿貫君もラグビーの選手で、ラグビーで高校と大学を卒業したくらいでしたから、二人でそのはなしになると、人のことはそっちのけでした(ちなみに、綿貫君の大学のチームが雑誌のグラビアに載っているのをみせてもらいましたが、いちばん前でしゃがんでいる一人の選手の横チンが見えます。サポーターをするとかえって危険なのだと、そのときはじめて知りました。股の下の玉をさっととらえるなんて、このカメラマンも小柄だったのかもしれません)。
 「草加越谷千住の先よ」と、あるとき有金君が突然調子をつけていったので、ぼくはおかしくて笑ってしまいました。「なによ、それ」「うちの大学のあるところ」「ああそう、知らなかった。目白台じゃなかったっけ」「それは高校まで。大学は畑のなか。グランドのそばに川が流れていて、わるい先輩がいるのよ、練習にかこつけてそのなかに入れっていうの。絶対服従だからはいりますよ。そうすると、さあしゃがんでみようっていうの。えーっ、川ったってドブみたいなものですよ、肩までつかろうっていうのよ。肩までつかるでしょ、こんどは口まで沈めっていうの。鼻だけだしてさ、水のにおいがくさいのよねー。しばらくその姿勢でいると、あがってよしっていわれるの。ぜんぜん意味ないんですよ。いつか自分も下級生にやってやろうとおもったけど、やめたからできなくなっちゃいました」。
 有金君は笑いながらいいましたが、彼はやさしいからできっこありません、たぶん。
 「でも、学校やめたらラグビーもできなくなって、つらいよね」「ほんとうは逆なんですよ」「え?」「だから、ラグビーやめたから、大学もいけなくなったの」「はなしが見えない」「あのね、練習試合中にモールに巻きこまれて、いちばん下敷きになったんですよ。なかなか笛が鳴らなくて、長かったなあ。人の上でみんな重なり合ってもみ合ってるんです。じっと我慢していたんですけど、そのうち足首がゴキッていって。グランドの外に引きずり出されて寝てるとき、そばで監督と部長がひそひそばなししてるのがきこえちゃったんです。こいつの足首だめかもしれないって相談してたんです。それをきいたら、とたんに怖くなっちゃって、ラグビーなんかやらなきゃよかったって。臆病風っていうんですか、もうビビっちゃって。軽くてすんだんですけど、またラグビーやる気になれなかったんですよ。それで後腐れないように大学もやめちゃったの」「もったいないなあ。綿貫君みたいに漢字書けなくても卒業証書もらってる人がいるのに」「そのかわり、綿貫さんもそれなりに苦労したみたいですよ。タックルされて腰が痛くて寮で寝ているでしょ、綿貫さんしかできないポジションだったので後輩が呼びにくるんですって、それでしかたないから腰にギブスがわりにさらしを巻いてグランドへでていって、また痛いところにタックルされて熱がでて寝込むなんていうような。何回もヘルニヤやって、背骨が2カ所くらい隆起してるそうです」「フタコブラクダか」。
 有金君も、あれから28年たって、痩せたからだがむしられたニワトリのようだったのに、見る見る太っていつしか中年の貫禄がでてきました。あのハンサムだった日々。むかしはよかったね。
 ( 今年の「ギンザプラスワン」はこれでおしまいです。お読みくださいまして、ほんとうにありがとうございます。来年もよろしくおねがいいたします。それにしても、最近の有金君はだれかに似てるな。そうだ、昔の俳優の、ほら「カサブランカ」にちょこっと登場するじゃないですか、ピーター・ローレ)。