東京日記

 私の乗った電車が三宅坂を降りて来て、日比谷の交叉点に停まると車掌が故障だからみんな降りてくれと云った。
 内田百間の「東京日記 その一」は、こういう何気ない調子ではじまる。やがて怪異現象が起こるのだが、そんな風情は微塵も見えない。次第に空気の層が濃密に、あるいは希薄になって、蜃気楼のように見えない筈のものが浮かび上がる。怖がっている当の百間先生こそが、本当は怪しい来客なのであって、ぞっと鳥肌を立てて首をすくめているこちらが、ふと我に返って百間先生のほうをうかがうと、しらじらとした表情で、あの底意地のわるそうな眼がじっとこちらを見つめている、という寸法である。
 百間先生の乗った路面電車は、まだ東京市といった頃の電車だから、市電である。東京都になってからの都電は、私がはじめて銀座へ来たときにも、まだ動いていた。しかし、私は、都電に乗らずに地下鉄で銀座に来た。そのせいか、べつだん怪異現象など起こらなかった。
 そのとき、私が銀座へ来たのは、どこかの百貨店で夏目漱石生誕百年記念展が催されていたからである。高校1年か2年の頃で、高校に入ってすぐ漱石に魅了されていたから、是非とも見ておきたかった。仲の良い級友数人で来た筈だが、遠い昔のことなので、誰がいっしょだったか記憶にない。ただ、私は友だちについてあとから階段を上っていったから、先を行く友だちの制服の黒いズボンと黒い革靴が、足ばやに階段を駆け上がってゆく姿が眼に残っている。肝心の漱石展でなにを見たのか全然覚えていないが、その光景だけが長く記憶にとどまった。
 それから十年して、私は銀座に勤めるようになった。ごく偶然からである。しかつめらしいことをいう気はないが、あとからふり返ってみると、偶然というのも人生の大きな要素で、もしかすると一番大きく左右しているかもしれない。
 ある夏の夕方、会社の帰りに同僚たちと一杯やってゆくことになった。ビア・ガーデンたけなわの頃で、デパートの屋上へ上がることにした。エレベーターが、どういう加減かみんな上の階に停まって、一向に降りてこない。仕方がない、歩こう、といって、階段を上り始めた。しばらく上ると、うしろから数人の革靴の足音が駆け上がってきて、私たちの傍らを追い抜いていった。何気なく私は通り過ぎる足もとを見て、おや、と思った。黒のズボンに黒の革靴が、足ばやに上がってゆく。顔を上げると、相手もふり向いてこちらをみた。知っている顔が、そこにあった。高校のときの級友の顔である。私ははっとしたが、相手はなんの関心も私に払わないで、ついっと階段を曲がっていった。
 同僚が、顔色がわるいけど、だいじょうぶか、と私にきいた。私は、うん、と答えながら、いま通り過ぎた一団に、はたしてあのときの私が混じっていたのかどうか、しきりに考えていた。
 (手ちがいで、べつの原稿、「私のニセ東京日記」が紛れこみました。お詫びして、次回訂正します。夏、だから、いいか)