銀座ひるめし案内

 いま、銀座ではたらいてるひとたちというのは、お昼は、どこでなにを食べているのだろう。ぼくは、めんどくさがりやで、いつもおんなじところばかり行っていたけれど、それでもけっこうな数になるんじゃないかしら。今回は、あんまり役に立ちそうもない、銀座ひるめし案内です。役立たないのは、ほとんどの店が、もうなくなっているからです。
 まず、ソニー通りから。フジヤ・マツムラのとなりに、光蘭亭という中華料理店があった。オーナーは中国人のおじさんで、店にはいってゆくと、読んでいた新聞から顔をあげて、鼻にのっかったメガネごしにひとのことをみて、イラッシャイ、とつぶやく。いつも何人か、いかにも中国人らしい年配の友人がきていて、隅の席でくつろぎながら、なにやらボソボソはなしをしている。華僑のひとたちは団結がかたいというから、あんがいチャイニーズ・マフィアかなんかだったのかもしれない(んなわけないだろ)。お嬢さんはソルボンヌ大卒の才媛とかで、大柄の美人だったけど、これがじつに気さくなひとで、ソルボンヌは東京の下町にあるのかとおもった。なにをたのんでもうまかったが、ぼくはよくカレーライスをたべた。ここのカレーは、ほんとにおいしかった。ただ難をいえば、ときどき、肉のかたまりとおもったものが、よく太ったゴキブリだったりした。いま、替わり、もてくるよお、といわれても、ちょっと引くでしょ。そのくせ、また翌日、テーブルについて、カレー、と注文しちゃうのであります。
 うーん、ヤバイよな、こうしてダラダラ書いていると、また、一枚の絵の山城社長に、長すぎるから切るわね、とサッパリした口調で申しわたされるかもしれない。でも、ぼくが大事だとおもうことが、みなさんにとっては取るに足らないことだったり、どうでもいいことだったり、意味のないことだったりするかもしれないけど、そんなにいそがないで、たまには立ちどまって、耳をすましてください。
 1970年代の終わりごろ、この店にベトナム人の少年がふたり、はたらいていた。いわゆるボートピープルで、オーナーが面倒をみていたのだろう。昼間、ここで仕事をして、夜、学校に通っていたようだ。ときどき厨房からソルボンヌの旦那さんが出てきて、おまえら、もっと清潔にしろよ。そのカーデガンいつ洗濯したんだ、と怒鳴ったりしましたが、少年たちは叱られているときだけ神妙で、すぐにもとどおりのグニャグニャになってしまうのでした。
 このふたりがみょうにぼくに親切で、席ここあいてるよ、とか、水もっといかが、とかサービスがよかった。あるとき、ひとりが、食べているぼくのそばで、もじもじして、学校でたら、あなたのお店のようなところで働くのが夢です、と語った。がんばって勉強してね、とぼくはこたえた。べつの日、もうひとりが、コップに水をつぎたしながら、目をキラキラかがやかせて、ぼくにきいた。
「あなたも中国系か」