山口先生と私

 アンクル・トリスのアニメーションが、むかし、テレビのコマーシャルで流れていたのを、おぼえていますか? 浪曲調だったり、ウエスタンだったり、町内のおじさんバージョンだったりしました。
 サラリーマンのアンクル・トリスが仕事をおえて、同僚と会社を出るところを想い浮かべてください。早春の夕暮れです。そこに、ナレーションが入って、行き着く先はトリス・バーです。
  「たそがれ迫れば街の灯ともる/目と目があえば言葉はいらぬ/今夜も一杯やろうじゃないか/足なみ揃えていざ行かん/夕闇濃けれど風あたたかし/男の夜に終わりはないぞ」
 こんなコピーを、当時、ぼくは書いていました。もっとも、すでにトリス・バーの時代はおわっていました。遅れてきた青年は、なにもかもおくれていたのです。ようやく社会人になろうとしたのも、ひとより10年おくれていました。本人はいたって暢気で、そんなことはすこしも苦にしていませんでしたが。
 フジヤ・マツムラに入社して、困ったことがひとつありました。山口瞳先生にまだお礼のご挨拶をしていなかったことです。4年前のあのときのことをお話すれば、先生はきっとそんなぼくを格別ひいきにしてくださるでしょう。それは火を見るより明かでした。実際、先生が亡くなられたあとでぼくが独立することになったとき、奥様にお礼を申しあげて昔のお話をすると、パパが生きてたらきっとあなたを応援しましたよ、とおっしゃてくださいました。あの情の濃い、血の熱い山口先生のことですから、ずいぶんご愛顧たまわることになったでしょう。だから、それが困るわけです。一介の新人が、そういうことになってはいけないのです。
 ある日、とうとう山口先生がみえました。ぼくは、非常に緊張しましたが、面識がないのですから、隠れる必要もありません。山口先生は、ひょこひょこという感じの歩き方で、店内を眺めました。
 「ひとに差しあげるんで、安くていいものがいいんだけれど、ここのうちはいいものばかりで、安いものがないときてますよ」
 冗談めかしておっしゃた言葉で、ぼくの緊張は一瞬で解けました。いつか、きっといつか、笑い話で、先生、こんなことしていただいたことがありましたが、おぼえておいでですか? と、おききできる日がくるかもしれない。それまでは黙っていよう、とおもいました。そして、だまったままで20年がすぎて、最近の山口先生は井伏鱒二さんによく似てこられたなあ、とおもっていたら、いつのまにかイナガキタルホに似てこられて、輪郭がなんだか崩れてきたようにおもえたころには、もうご病気が進行していたのでした。