吉行さんとコート

 ある日、にこにこしながら、ドアをあけて吉行さんがはいってこられた。わきの下に、箱をかかえている。白地に赤い線のフジヤ・マツムラの箱だった。
 山口さんからプレゼントされたんですが、と吉行さんはふたをあけて、なかから黒いスポーツシャツをとりだした。袖が長くてね、ここへ来れば、懇切丁寧、かゆいところに手がとどくくらい親切に面倒みてくれるって、彼がいうものだから。ちょっと遠慮がちに、そういわれた。
 吉行さん、というのは、吉行淳之介先生で、山口さんは、もちろん、山口瞳先生のことだ。ご本人には、先生、とお呼びしたが、うちうちで話すときは、親しみをこめてさんづけだった。
 舶来のスポーツシャツは、いまでもそうだが裄が長い。たいていの人は、カフス分くらい短く詰めた。そのままちょうど良いのは、野坂昭如先生くらいのものだった。野坂さんは、足も長い。
 ついでだから、このシャツ、もう1枚ください。なんていったかな? (と、衿のところの織りネームをみて)バクセルか。イタリー製のBAXERというメーカーで、バクサーと読むのだが、ドイツ語読みされたのだろう。やんわり訂正すると、即座に、どうも学があるもんだから、とニヤリとされた。ぼくは、おかしくて、のどをくすぐられたみたいに笑ったが、ほかにはだれも笑わなかった。これって、なんだか、おかしくありませんか?
 同じメーカーのシャツがなくて、やはりイタリー製のAVONをおだしした。こんどのシャツは、エイボンでしょう? いたずらっぽい眼で、ぼくをみた。先生、残念、アボンです。どうも学もあてにならないな、といって、これもいっしょに直してください、とまじめな顔にもどった。これが、はじめて吉行さんが来店された日のことだ。
 つぎにみえたのは、アクアスキュータムのコートのときだ。黒のシルクのコートを着てみえて、これと同じものをさがしてください、といわれた。袖口が、ほら、こんなにボロボロになってしまって。シルクのコートは、袖口がすぐ擦れる。だから、袖がすこしくらい長くても、ちょうどに詰めたりしないのだ。すり切れた分だけカットして着て、またすり切れたらカットする。でも、ちょうどよい長さになるころには、本体がだめになって着られない。なんとも、不条理なコートではありませんか。そのコート、お直しすれば、新しいのは要りませんでしょう? 古いのは直してもらいましょう。 しかし、直してもらっているあいだ、着るコートがないのは困る。そうですか、1週間ほどなんですが。1週間もコートなしでは、困る。うーん、やっぱり、不条理なコートだ。「呼ばないときにはやってきて、呼んだときには知らん顔、それは猫と女だ」という文章が吉行さんの小説にあるが、たしかにコートが、要るときに1着もなくて、要らないときに2着になるなんてのは、ずいぶん不都合なことじゃあるまいか。
 新しいコートが届くのに、1週間かかった。吉行さんは、袖口のほつれたコートを着てこられ、新しいコートを着て帰られた。ドアを押して出てゆかれた吉行さんは、すぐに半分ドアをあけると、この1週間、ホテルに缶詰めで、1歩も外にでなかったんだよ、とぼくにいってドアを閉めた。