吉行さんの黒いシャツ

 「ユリイカ 詩と批評」11月号は、「吉行淳之介特集」です。もっとも、これは昭和56年11月発行ですから、古本屋でさがすしかありません。村松友視氏との対話「背広を着た『厄介』」が載っており、写真が添えられています。服装に話がおよんで、村松さんがたずねます。「吉行さん、このごろ暫く着てないけれども、黒いシャツをずっと着てらしたでしょ」。吉行さんが答えます。「あれは、わりに実用的な問題から始まっていたんですね」。
 吉行さんは、若い頃から喘息で、ずっと苦しんでこられましたが、それの裏返しが湿疹で、それがただれたように顔に出てきました。白いものを着ると、いっそう目立ちます。そこで昭和40年ごろ、誤摩化すために黒いシャツを着ました。なんとなく誤摩化すうちに、湿疹が治ってきても、「黒を着こなせる人って少ないのよ、なんてお世辞いわれるわけね。黒は難しいんだって、アンちゃんになっちゃうかヤクザになっちゃうかどっちかで。で、ぼくはそれならそれでいこうと長いあいだ着てたんだよ」。
 「酒呑みの自己弁護」(昭和48年 新潮社)というエッセイ集のなかで山口瞳先生は、(ついふらふらと、なかに入ってしまった)フジヤ・マツムラで、野球の小西得郎さんが買いものするところを見かけ、「どうやら、ついに、小西さんは細いネクタイをあきらめて、太いネクタイに転向しようとする歴史的瞬間であったようだ」と書いていらっしゃる。だったら、ぼくの遭遇したことも、歴史的瞬間といえるかもしれません。以前に書いた文章を、ちょっと引用してみます。
 「ベージュ色のシャツを見せてください、と電話のむこうで小説家はいいました。昭和55年の春のことです。私はとっさに、黒はもうご卒業ですか、と口に出してしまい、よけいなことをいって叱られるかな、とおもいました。黒っぽい服に黒のシャツ、というのが、当時、この作家のトレード・マークのようになっていましたから、なんだか残念なような気持が、私にそういわせたのかもしれません。いまとちがって、黒のシャツを着るということが、なんとなくうさんくさくおもわれた時代でした。しかしそれが、素敵によく似合っておいででした。
 いえね、と作家は気をわるくした様子もなく、はにかんだようにいいました。としのせいか、どうも黒が顔の色と合わなくなったようにおもうんですよ。さっそく、上野毛のお宅にベージュのシャツをお届けしました。そのとき、シャツの色が変わることで、作品も変わっていくのかしら、とちらとおもいました。もしそんなことがあれば、これは文学史的に大事件ではあるまいか」。
 吉行さんが黒のシャツから、ベージュのシャツに転向するまさにそのとき、立ち会ったのはぼくだったんだよ、といっても、なかなか信じてもらえません。「ユリイカ」の対話に添えられた写真には、そのときのシャツを着た吉行さんが写っていて、 「それが、年齢のせいだと思うんだけど、黒いシャツがなんか似合わなくなってきたの。それで去年の春ごろから黒っぽいセビロにベージュふうのスポーツシャツ着るように、なりましたよね」とおっしゃっています。ほら、やはり歴史的瞬間だったでしょ。でも、吉行淳之介は、シャツの色が変わっても、吉行淳之介でした。