銀座百点 号外71

  麻布中学校では、五年生のとき、朝礼台にのぼって号令をかける役だった。後輩の北杜夫によると、号令をかけるのは生徒会長の役目で、それは前の年、四年生での成績が全体で一番だったことを意味する。けれど、号令をかける吉行さんはどこか照れた感じで、すこしもしゃっきりして見えなかった、という感想をもっている。
 しかし、同時に、吉行淳之介を交えたいずれもできる何人かの五年生たちが、校庭の隅になんとなくたむろして談笑しているのを見かけると、彼らがとてつもなく大人に見えた、ともいっている。
 年譜の一九四一年(昭和一六年)一七歳のところで、


一二月八日、真珠湾の大戦果を報告する校庭のスピーカーに蝟集する生徒たちを、ただ一人三階の教室から見下ろしていた。「そのときの孤独の気持と、同時に孤塁を守るといった自負の気持を、私はどうしても忘れることはできない」(「戦中少数派の発言」)


吉行淳之介はいう。たぶん、親しい級友たちの付和雷同する姿に、「ブルータスよ、おまえもか」とつぶやいたことだろう。
 ここでも、まだ、吉行淳之介の不良性は見えてこない。