自動車外商

 自動車外商は、行き先にもよりますが、だいたい1週間から10日くらい、まわってきます。ぼくが行っていたのは、おもに関西方面でしたが、先輩のなかには、ずいぶん遠くまで行くひともいました。そんなに車ででかけていると、事故にあわない? と、ときどききかれます。そうですね、事故は、たまーにありました。
 釜本次長についていったときのことです。大学の自動車部の学生さんに、運転のアルバイトできてもらっていましたが、そのときは早稲田のがっちゃんでした。がっちゃんは、そつなく運転して、京都から福井にはいりました。レンタカーのワゴン車は、途中でファン・ベルトが切れてオーバー・ヒート寸前になったり、後ろの荷台のドアのかぎがかからなくなったり、空調の送風が出てこなくなったり、1回高速道路でパンクしたりしたほかは、じつに快調に走っていました。
 福井での仕事は、ひと晩だけでした。ご用があれば、どこへでもうかがうのです。夜なのは、うかがう先がお医者さまなので、診療がおわって、一服されたあとがいいわけです。いろいろごらんいただいて、おいとまするころには、日付がかわろうとしていました。外に出ると、息がしろくなりました。もうじき11月もおわりです。あしたは京都にもどって、あさっては東京です。余談ですが、ひとそれぞれで、東京にかえってきたぞ、という感慨がわく場所があるようです。用賀のインターをおりるとき、というひとがいます。東京タワーがみえたとき、というひともあります。ぼくは、車でなら、首都高速で渋谷をぬけるとき、急にあかるくなるので、あ、かえってきたな、とおもいます。どうでもいいことですけど。
 翌朝、起きたらあたり一面、まっしろでした。雪がふりだしたのです。ホテルの食堂の窓から、白い雪印のマークが落ちてくる空を見あげながら、のんびりコーヒーを飲んでいました。先に車を見にいったがっちゃんが、首をかしげながらもどってきました。あの車、チェーンがのせてありませんね。これくらいの雪なら、どうだろう? と、釜本次長がききました。まっしろといっても、道路はタイヤに踏まれて、地面がみえています。そうっすね、いけるでしょう。軽いがっちゃんのひと声で、ぼくたちは出発しました。うっかりしたのは、福井が東京じゃなかったことです。
 福井から京都へもどる高速道路は、普通車の影はちらほらで、大型ダンプばかりがものすごい勢いで追い越してゆきます。市内を出て、しばらく行くと、だんだん路面の雪の量がふえてきました。がっちゃんは、慎重に運転しています。80キロの速度が、いつのまにか60キロにかわり、やがて40キロまで落ちました。なんだか、高速道路じゃないみたいっすね、とがっちゃんはいいました。どんどん雪がふかくなって、前の車のタイヤのあと拾うのも、容易じゃないっす。
 こういうときって、だれもが無言になるものです。ときどき、大型ダンプが道の雪をはねとばして、追い越してゆくけたたましい音のほかには、単調なワイパーの往復する音と、こもるようなエンジン音しかきこえません。視界は、雪で、ほとんど2〜30メートル先までしかみえません。こんなのは、とぼくはおもいました。いつか伊豆のかえりに御殿場で霧にあったとき以来だ。あのときは、10メートル先がみえなくて、どの車も、前の車の尾灯がたよりで走ったっけ。道を踏みはずした車が、何台かあったはずだ。
 とつぜん、座席がすうっと右に流れました。ということは、車が右に滑ったのです。ひとりでに、走行車線から追い越し車線に移って、まだ滑ってゆきます。いま、あの大型ダンプが来たら、と、とっさに考えました。ひとたまりもないだろう。車はさらに滑って、ドーンとぶつかると、こんどは左に流れはじめました。中央分離帯の柵に当たって、はねかえったのでしょう。左にするする滑って、路肩の雪だまりに突っ込みました。一瞬の出来事でした。そして、次の瞬間、すこしもスピードをゆるめない大型ダンプが1台、雪を蹴散らしてぼくたちのわきを通過してゆきました。ふう。
 ぼくと釜本次長は、すぐに車をおりて、まわりを点検しました。大きな音のわりには、へこんだ程度は軽症です。それより、車の止まった路肩のむこうは、すぐに切り立った崖でした。勢いあまって、ガードレールを突き破っていたとしたら……。運転席のがっちゃんをみると、顔だけ笑っていましたが、ハンドルを握った手が離れないっす、と、ふるえる声でいいました。
 これが、ぼくのあった事故の一番です。釜本次長は、自分の一番を自慢します。店長といっしょのとき、店長の運転してた車が崖から落ちて、はえてた松の木の太い枝にひっかかって止まったの。ドアをあけたら下にはなんにもなくて、あれはこわかったな。