銀座百点 号外50

 田村隆一詩集「新年の手紙」は、朝日新聞の夕刊で丸谷才一が田村の詩を時評に上らせた2カ月後の昭和48年3月30日、池田満寿夫の装幀で青土社から刊行された。だから、きっと、この詩集はすぐに評判になったにちがいない。2年後に、ぼくが「雁のたより」を読んであわてて古本屋へ飛んでいったときには、棚に並んでいるのは再版本ばかりだった。
 しかし、ぼくは、間もなく初版本を見つけるのである。しかも、この詩集には池田満寿夫のデザインで中扉に洋封筒が張りつけてあるのだけれど、ぼくの見つけた初版本には、そこに「隆一」とサインペンで署名があった。「謹呈 著者」と印刷された短冊もはさまっていた。なんと、著者献呈本の1冊だったのである。恵贈された相手の名前が書かれていなかったのは、ぼくにとってさいわいだった。
 目次には、あの詩「絵はがき」も見えた(それも誤植で「絵ハガキ」となっていた)。しかし、ぼくがこの詩集に収録された29篇の詩のなかでも、とくに好きなのは「村の暗黒」である。ただし、この詩の舞台は、前夫人、詩人の岸田衿子さんと暮らした丹沢山系大山の麓の村のようである。


    麦の秋がおわったと思ったら
    人間の世界は夏になった
    まっすぐに見えていた道も
    ものすごい緑の繁殖で
    見えなくなってしまった


    見えないものを見るのが
    詩人の仕事なら
    人間の夏は
    群小詩人にとって地獄の季節だ
    麦わら帽子をかぶって


    痩せた男が村のあぜ道を走って行く
    美しい詩のなかには
    毒蛇がしかけてあるというから
    きっとあの男も蛇にかまれないように
    村の小宇宙を飛んでいるのだ