銀座百点 号外49
しかし、ぼくが田村隆一の詩にふれるのは、もっとずっとあとのことだ。
丸谷才一が1973年1月25日、朝日新聞夕刊の文芸時評で田村隆一をとりあげる。ぼくは、これを読んでいない。うちは読売新聞をとっていたからだ。
1975年4月、丸谷さんが連載した文芸時評が、「雁のたより」という題名で朝日新聞から刊行される。丸谷才一もぼくの愛読書だったから、もちろん、すぐに購入した。このなかに、「ライト・ヴァース」というタイトルで、田村隆一の近作の詩が紹介されていた。
ここにはもはや、かたはらにいつも沈黙が寄り添つてゐるせいでいつそう荒々しく感じられる、あの詩的な雄弁はない。今われわれが出会ふのは、軽みといふ新しい境地を求めてゐる詩人なのである。
そして機知と抒情が最も調和してゐるのは『絵はがき』だらうか。それはかういふ六行で終ってゐる。
ホノルルから東京に絵はがきを出した
ダイヤモンド・ヘッドの上に
月がただ一つ
ぼくは一足さきに人いきれのする集団精神のなかに帰ってきてしまったが
絵はがきはまだ飛んでいるのだ
日付変更線のあたり
ぼくは、すぐに、この詩が収録された詩集「新年の手紙」をさがしに古本屋へ走った。