銀座百点 号外48

「もう一軒行きましょう。すぐそこだから」
 もう一軒のバーへ行くまでに寿司屋へ寄る。トロを少したべて、
「ぼく田村です。また来ます」
 と言って寿司屋を出る。実に優しい。
 Qという看板のあるバーの扉をあけて、首だけ入れて、
「ママさん、いる?」
 マダムは外出らしい。ボックスへ坐る。いきなりオードブルが出てくる。こいつはマズイナと江分利は思う。黙ってオードブルを出す店は安くない。
「へえ、ママさん、いませんか。じゃビール」
 マダムがいなくて、じゃビールとはどういう意味か。格別の意味はないらしい。
「飲もうよ、結果は同じだ。結果としてはね、おなじなんだ」
 そこを出る。出るときに田村隆一は自分の詩集だか翻訳書だかにサインして渡す。
「ぼく田村です。ママによろしく」
 江分利は少し心配になって田村隆一に訊いてみる。
「あんた、あそこのママさん、知ってるの?」
「知ってるよ、はじめに行ったバーへね、あそこのママが1度遊びにきたことがあるんだ。そこで顔を知ってんだ。名前は知らないけど」
 驚いたね。結果は同じとはいくら飲んでも支払いはしないという意味なのだ。どんなに高価なウイスキーやブランデーを飲み、オツマミを食べても、支払いをしないという点で”結果は同じ”なのである。ビールの小瓶を一本だけ飲んでも結果は同じである。
 それでいて、どこのマダムにきいても田村さんだけは憎めないと言う。それだけのものを彼は備えているのだ。計算ではない。もっとも不意に突如として風の如く金を置いてゆくこともあるらしい。


 昭和23年、24年では、高名な作家で収入も相当ある筈なのに決して金を払わないという人がいた。ふらっと入って、ふらっと飲んで、ふらふら出てゆく。
「ああいう人、お金はどうするの?」
「あれはあの人の癖でしてね、仕様がないの」
 それで通った。そういう時代である。
(引用は、角川文庫版「江分利満氏の華麗な生活」平成八年七月二十五日初版定価430円より)