銀座百点 号外47

 詩人田村隆一のことは、山口瞳先生の「江分利満氏の華麗な生活」(1963年・文藝春秋新社刊)ではじめて知った。1968年ころのことである。
「江分利満氏の華麗な生活」は、10篇の短編からなる連作小説である。小説だが、エッセイのような風味がある。その1篇、「続・大日本酒乱之会」に田村隆一は登場する。手もとにある角川文庫(平成八年七月二十五日初版発行定価430円)から引用しようとおもうが、切り刻んで紹介したのでは山口先生の文章の妙味もそがれるし、だいいち、田村隆一田村隆一らしさが伝わらなくなる。ちょっと長くなるけれど、お許し願います。


 高村光太郎賞を受けた、詩人・田村隆一という男がいる。田村隆一は昭和23年、24年当時と全く変らぬ飲みっぷりで通している数少ない男の1人である。彼と銀座のバーへ行ったとする。江分利の馴染みでないバーだったとする。夏ならば麦藁帽にヨレヨレのスポーツシャツ、貰い物だというつんつるてんのズボンに鼻緒の切れかかった下駄ばきである。長身痩躯。上原謙に似た高貴なる美貌。ヤサシイ目許、風態といい、詩人という稼業からしてもキャッシュが無さそうで江分利は気が気ではない。といって江分利の行きつけのブルー・リボンやジョン・ベッグやクールへひっぱってゆくには、このナリでは江分利としても相当の覚悟がいる。ホステスという名のお嬢様方はびっくりしてしまうだろう。江分利としても飲み方がビビルのである。
「江分利さん、大丈夫ですよ。安心して飲んでくださいよ」
 優しい目と優しい言葉。この人は”純粋”だと思わぬわけにはいかぬ。そのうちに江分利の方も調子が出てくる。仕上ってくる。サントリーの角瓶がたちまち空になる。江分利は田村が先程から「結果は同じだ」という言葉を連発しているのに気付く。
「ママさん、ビールください、喉がかわいた。江分利さん、何でも注文してよ、結果は同じなんだから」
 結果は同じ、とはどういう意味だろう。
(つづく)