銀座百点 号外51

 山口瞳先生の「続・大日本酒乱乃会」にもどる。これを収めた「江分利満氏の華麗な生活」の初版は、昭和38年に発行されている。東京オリンピックの前年である。あの敗戦国日本も、見違えるほどの復興をとげており、やや余裕をもって戦後の混乱期をふり返ることのできる時期がきていた。だからこそ、山口瞳は、もとい江分利は「戦争には誰も触れたがらなかった。みんなうしろめたい気持で生きていた。謙虚で純粋だった。ゴルフをしなかった。バイタリティがあった。なまぐさい希望とみじめな絶望感を抱いていた。ある点でみんな平等だった。平等のくせに喧嘩ばかりしていた。みんなヒトナツッコかった。みんな淋しがりだった」あの時代、「昭和23年、24年の飲み屋の光景を再現しようと」もくろむのである。


 あれは、一種のユートピアではなかったか。「おそめ」も「エスポアール」も「葡萄屋」も「ゴードン」も「とと」も「和」もなかった。あったとしても行けなかった。それが昭和25年、26年頃から少しずつ何かが変っていった。29年、30年にはハッキリと差がついていた。酒に関してだけいえば田村隆一や江分利満にはまだ”戦後”が残っている。江分利などはますますヒドクなって酒品は落ちる一方だ。円満紳士にはなれっこない。模範社員にもなれぬ。何かがはみだしてしまう。行き過ぎてしまう。おさえがきかぬ。


 ぼくが田村さんにお会いしたのは、もっとずっとあとのことだ。しかし、山口瞳の文章にほんのちょっと登場しただけなのに、そこから受けた印象は強烈に残っていた。