ハンドバッグ 13

 昭和52年7月に、中途採用でぼくは銀座に勤めることになった。月給は手取りで9万3千円、額面で10万数千円だった。採用が決定して、来週から出社するようにいわれて会社を出てから、ふと思い立って友人の甘木に電話をかけた。
 友人の甘木は、スチールの棚を作る会社に入社して5年目だった。設計部に在籍して、毎日呑気に線を引いていた。設計部といっても、棚を設計するわけではなく、設置場所にどう置いたら効率的かを紙の上でレイアウトするのが仕事だった。甘木は、その前に1年間、第一家電という会社の宣伝部にいたことがあるから、社会人になって6年たっていた。
「あのさ、いま、就職してきちゃった」
 ぼくがこの男に連絡するのは、商船三井をやめたとき以来だった。
「まだ、大学に籍、残ってるんじゃないのか?」
 電話の向こうで、高校1年からのつき合いの友人は、素っ頓狂な声をあげた。
「うん、でも勤めちゃった、適当なアルバイトが見つからなかったから。それでね、給料なんだけど、甘木、いま、いくら貰ってんの?」
「いくらって。おまえのほうこそ、初任給いくらなんだよ?」
「手取りで9万3千円だって。額面だと10万ちょっとかな」
「それじゃあ、おれとほとんど変わらないじゃないか。おれなんか、この会社、もう5年もいるんだぜ。貰い過ぎだよ、おまえ」
 入社してしばらくして、その黒のハンドバッグは入荷してきた。同じものが2本入った。 
 ジャージのような布の生地で、表面にキルティングがされており、ショルダー部分は細い鎖で出来ていた。かぶせのふたに銀色の目立つ留め具がついていて、ふたをあけると内側は真っ赤な生地だった。その真っ赤なところに、Cをぶっちがえたようなマークがひとつ、金で刺繍されているのが見えた。
 ぼくは、何の気なしに鎖に付いている値札を見て、おもわず目を見張った。33万円! 布のバッグが、である(「ぼくの給料の3カ月分でも足りないじゃないか。甘木に話したら、なんていうだろう」)。 しかも、そのハンドバッグは2本とも、たちまちのうちに売れてしまったのである。
「シャネル」。
 ぼくは、自分が、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったことを、つくづくと感じていた。