ハンドバッグ 9

 フジヤ・マツムラの社長が持っていたのは、ゴヤールというフランス製のバッグだった。織物のような生地で、黒とグリーンと金茶の3色で「Y」という文字を組み合わせてあり、ちょっと杉綾柄のようにも見えた。持ち手とパイピング部分には黒い革が使われていた。
 このバッグは、一見書類鞄のようだったが、それは社長が書類鞄として使っていたからで、よく見ると、やはり女性の持つ大振りのハンドバッグに見えた。2本手の持ち手の長さが長くて、肩にもかけられるようになっていた。
 社長は、このバッグを持つとき、手にさげるのではなく、女性がよくやるように、腕を通してひじを曲げて持った。それで、よけいに女性的なバッグに見えたのかもしれない。
 ぼくが入社したときには、このバッグはすでに相当くたびれていた。だから、バッグを扱う各社の営業担当者は、そろそろ新しいバッグに替えてはいかがですか、と顔を見るたび挨拶のように社長にすすめた。
「ううん、まだ、いい。まだ、きれいだから」
 社長は、浮かない表情で、いつも断った。
 いっしょに問屋に約定に行ったとき、来客用のテーブルの上にくだんのバッグを置いて商品を選んでいたら、突然、大きな声がした。
「だれだ、こんな汚いものを置きっぱなしにして。お客様に失礼じゃないか」
 ふり返ると、その会社の営業部長が、社長のバックを握りしめて怒っていた。営業部員のひとりが、あわてて部長のところに飛んで行って、小声でなにかささやいた。その途端に、営業部長はひとまわりしぼんだように見えた。ポケットからハンカチを出すと、しきりに首のあたりをぬぐった。それから、そっと部屋を出て行った。
 しばらくして、社長のバッグが新しくなった。こんどのは、チンギャーレという革で、イタリーのフォンタナ(フォンタナ・ドゥ・トレビア、だったかな)というメーカーのバッグだった(2008-09-07「ハンドバッグ 5」参照)。色は、渋いグリーンで、パイピングが明るい茶色だった。大きさはゴヤールとほぼ同じだった。
 同じといえば、こんどのバッグも持ち手が肩にかけられるくらい長くて、それを社長はひじにかけて持って歩いた。