ハンドバッグ 24

 岸谷先生のお嬢様は、それからというもの、銀座に顔を見せなかった。岸谷先生にうかがうと、娘は勉強ばかりしているよ、というご返事だった。お嬢様は、医大に上がられても、相変わらず牛乳瓶の底のようなレンズの眼鏡をかけて、ガリガリと勉強だけしておられるのだろう、とだれもがおもっていた。そして、いつの間にか、すっかりその存在を忘れてしまっていた。
 年月がたって、また春がめぐってきて、こんちは、という声とともに岸谷先生がやって来られた。いつもの木曜日だった。あとから、ご尊父と、おばちゃんと呼ばれる妹さんが入って来られた。いつもと違うのは、そのうしろにもう一人、痩せて背の高い、若い女性が立っていたことだ。冷たい表情のちょっとした美人で、宝塚の男役(天海祐希さんを想い浮かべてください)といわれても疑わなかった。
「娘が卒業したから、なにかお祝いだってさ。また、おやじさんが買ってくれるって」
 それでは、この宝塚は、あのお嬢様か。一皮むける、という表現はあるけれど、着ぐるみを脱いだときには、いったい、なんていったらよいのだろう。
「もっとも、大学に残るから、卒業といっていいのかどうか、わからないけど」
 横を向いていたお嬢様が、突然こちらを見た。眼が合うと、冷たい口もとがほころんで、ちょっとぼくに会釈をした。ゾクッとした。フーテンの寅さんの気持がわかるような気がした。
 幸福な10年は、余すところ4年だった。
(つづく)