ハンドバッグ 23

 岸谷先生のお嬢様は、歯科大に入学が決まった。合格祝いに、おじいさまが指輪を購入することになった。お嬢様が選んだのは、ルビーの指輪だった。金の台に、鳩の血の色をした小豆粒ほどの石が1個、のっかっていた。
 指輪というのは、華奢にきれいに見せるために、やや小さめのサイズにこしらえてある。だから、芋虫のようなお嬢様の指では、きつすぎて、とてもではないがはまらなかった。さっそく、指の寸法に合わせて直すよう、修理に出した。
  ルビーの指輪は、1週間後に修理が上がってきた。ぼくは、上野から常磐線に乗って、それをお届けに行った。常磐線に乗るのは、そのときがはじめてだった。列車が動き出すとすぐ、駅弁を食べ出す男がいたり、靴を脱いで、座席の上に正座してしまうおばさんがいたりした。
 駅から15分ほど歩いた住宅地のなかに歯科医院はあった。医院というより住宅にしか見えなかった。インターホンを押したが返事がなかった。その日は木曜だったけれど、だれか必ずいるからといって指定されてうかがったのだった。しばらく待って、ぼくは裏木戸に手をかけてみた。木戸に鍵はかかっていなかった。
 そっと庭に入って行った。家のなかに人の気配は感じられなかった。ガラス戸に家のなかをうかがうぼくの姿が映った。相当怪しかった。戻ろうとしたとき、ガラス戸の向こうに敷かれた布団に気がついた。見ると、年輩の女性が眠っていた。その様子は、風邪で寝込んでいるといったふうには見えなかった。岸谷先生のご母堂は、1度もいっしょに来店されたことがなかったが、そのわけがわかったような気がした。ぼくは、見てはいけないものを見てしまったとおもって、いそいで木戸から出た。
 家の前で待っていると、お嬢様が自転車に乗って帰ってこられた。セーラー服姿ははじめてだった。相変わらずもっさりしていた。
「すいません、おそくなって。学校を出るとき、友だちにつかまっちゃって」
 お嬢様は、あわてて帰って来られたのだろう、鼻の頭に汗をかいていた。鼻の下にうっすらとひげのような産毛が見えた。
「いえ、大丈夫ですよ。どなたか戻られるまでは、お待ちしておりますから」
 ぼくは、包装してリボンをかけた指輪の箱を、手提げから出して見せた。
「サイズはちゃんとなっているとおもいます。おじいさまが差し上げるまで、試してみることはできませんが」
「指輪なんてはじめてで、とってもうれしいです」
 ぼくは、指輪の箱を手提げ袋に戻すと、受領証にサインをもらって、お礼をのべて駅に向かった。
(つづく)