ハンドバッグ 22

 岸谷先生には、お嬢様が一人いた。ぼくが最初にお会いしたのは、高校生のときだった。
 アメリカのミステリ作家に、クレイグ・ライスという女性がいる。彼女は、いくつかの名作を遺したが、アガサ・クリスティーのように有名にはならなかった。好きな人だけが愛読する、いわばマイナー・ポエットのような存在である。
 彼女の作品のひとつ「素晴しき犯罪」(ハヤカワ文庫、1982年2月15日発行)29ページに、登場人物(といっても、出てきたときにはすでに死んでいるのだが)の紹介がある。ちょっと長いが引用しよう。
『バーサ・ラッツのような女の子はいくらもいる。生まれつき、むっくりふとって頭の悪そうな感じで、父親は大金持で、その金を上手にふやしている。そういう女の子はどの子もみな、何不自由なく育てられ、歯並びはちゃんと矯正され、眼は高価な眼鏡で保護され、当世風の寄宿舎制学校や派手な女子学生クラブなどへは決して入らない。一流銘柄の高価なドレスは買えるけれどもちっとも似合わず、また、それを着て行くところもない。通常、彼女たちは若くして両親を亡くす。パパは金儲けの疲れで死ぬ。ママはそのパパといっしょに暮らした疲れで死ぬ。』
 ずいぶん辛辣な女性のようにおもえる。しかし、彼女が書いたのは、抱腹絶倒(センスがあってわかる人だけには)の都会派コメディだった。洗練とかハイセンスというのはこういうことだ、と掌にのせて目の前に差し出されるような気がする。
 ところで、岸谷先生のお嬢様にはじめてお目にかかったとき、その高校生は、どこにでもいる人見知りで大柄な、眼鏡をかけた鈍重な気のきかない、いつも口元に薄ら笑いを浮かべている汗かきの女の子、といった印象を受けた。いつも、ご家族のあとから入ってこられると、なんとなくおどおどした風情で、場違いなところに紛れ込んでしまったことを後悔しているように見えた。眼が合うと、はっとして、急いでそらすことが多かった。
 そんな印象が決定的になったのは、ポシェットを斜め掛けして来られたときだった。体が大きくて、多少お腹が出ていたから、小振りなポシェットはお腹の上にのっかってしまっていた。鼻の頭に汗の粒が光った。
(つづく)