ハンドバッグ 21

 歴史年表を見ると、なにも記述のない年というのがある。チグリスと呼ばれていた高校の世界史の教諭は、それはその時代が平和で、なにも事件が起きなかったからだ、と説明した(註、チグリスというのは、チグリス河・ユーフラテス河からとったあだ名である。世界最古の文明の発祥地、メソポタミヤを流れる河で、世界史の教師のあだ名としては、秀逸だとおもう。ご本人は、クロマニオン人のような風貌で、こちらも世界史の教師にふさわしかった)。岸谷先生の10年間は、さしづめ記述のない歳月に相当する。
 岸谷先生は、短く刈り上げた髪を、いつもきちんと七三に分けていた。先生の髪が伸びすぎたのを見たことがない。銀座の米倉が行きつけの店で、月に2回以上は調髪に寄っていたのだろう。岸谷先生のお住まいは、常磐線で1時間のところだから、遊びに来がてら寄るのでなかったら、ちょっと億劫かもしれない。
 銀座に月に何回か遊びにきて、芝居をみて、食事をして、呉服屋や洋品店を冷やかして、おつき合いでときどきなにかを買う、というのは、おそらく贅沢なことである。以前は、銀座の店で帳面で買い物できるようになるのが夢、という人が多かった。銀座で帳面で(すなわち、顔で)買い物をすることは、生半可なことではない。だから、それができることは、一種のステータスなのである。
 岸谷先生に所得をおききしたことがある。先生は、眼鏡の奥の大きな目をちょっとくりくり動かすと、
「2千7百万円」
 とぽつんといわれた。
「ただし、治療による収入、つまり売り上げね」
 2千7百万円を越すと、とたんに税金が跳ね上がるそうで、うんと越えれば別だが、ほんのすこし越えた程度では、2千7百万円未満で得られるよりも、税金が多い分(税率がワンランクアップするからね)収入が減ってしまうというのである。
「年末になると、ひやひやしながら営業しているんだよ。だって、金の入れ歯をつくれなんて患者がきたら、調整がつかなくて、大変なことになるじゃないか」
(つづく)