ハンドバッグ 20

 岸谷先生(仮名)は、歯医者さんだった。
 ぼくは、この先生のご一家ほど、しあわせなご家族を知らない。
 毎週木曜日と日曜日は、歯科医院の休診日なので、先生はご家族と銀座に遊びにみえられた。平日はお嬢様は学校があったから、ご尊父とお姉様と3人でやってこられた。日曜は、それに奥様とお嬢様が加わった。そして、一行は、歌舞伎座新橋演舞場でお芝居をご覧になって、ぶらぶらと銀座の中心へやってこられるのである。
 そのころ、銀座の中心はふたつあった。ひとつは晴海通りと中央通りの交叉する、三越と和光のある銀座4丁目交叉点、もうひとつは、みゆき通りと並木通りの交叉する銀座5丁目の交叉点だった。5丁目の交叉点には、いまシャネルのあるビルと、ギャラリー一枚の繪の入っている銀座風月堂と、フジヤ・マツムラの入ったビルが互いに向かい合っていた。もちろん、岸谷先生が歩いてこられるのは、5丁目のほうである。
 一行は、まず、交叉点近くのカリオカビルの2階にあった胡椒亭で食事される。それから、その界隈のなじみの店を何軒か冷やかして、最後にフジヤ・マツムラに寄られた。銀座のしめがいつもフジヤ・マツムラだったわけである。後年、胡椒亭がなくなってからは、近くのエスコフィエで食事をされるようになった。
 岸谷先生は、こんちは、といって、いつも軽い調子で入ってこられる。それで、その日が木曜日だとあらためて知らされた。そのあとから、ご家族がのんびりと入ってこられる。ご尊父は、すぐに椅子に腰をおろして、息子が店員と無駄話をするのを、いつも目を細めて黙ってきいておられた。見ると、ほかのご家族も、それぞれ店員のだれかをつかまえて世間話をしている。
 お中元とお歳暮のある期間だけ、フジヤ・マツムラは日曜も営業していたが、夕方ちかくなって、こんちは、といって岸谷先生が入ってこられる。だから、日曜日もちゃんと銀座にみえていることがわかった。それで、いつの間にか、10年がたってしまうのである。
(つづく)