ハンドバッグ 25

 岸谷先生は、こんちは、といって木曜日にやって来られる。そして、なんだかんだ世間話をして帰られる。そんなふうにして1カ月がたち、1年が過ぎていった。
 お嬢様は、ほんのときたま、休みがとれたときに同行された。相変わらず口数はすくなかったが、以前と異なり、自信に満ちあふれているように見えた。話しかけられておどおどしていたのが夢のようだった。
 数年後、岸谷先生から「娘の結婚が決まったよ」ときかされた。「いっしょに仕事している医者と結婚するんだってさ」
 医師の場合も、職場結婚というのだろうか(余談ですが、患者と看護士の結婚というのが、意外に多いですね。友人の鰐口のお兄さんは、学生のとき、結核にかかりました。土建屋の跡継ぎでしたが、筋肉マンの弟と違って、額にはらりと髪がかかった文学青年のような人でした。長く病院で療養しましたが、その間、親身に世話してくれる看護士さんと恋に落ち、退院後に結婚しました。鰐口は、兄嫁をあいつと呼びました。「あいつ、社長夫人になるのが夢だったそうだ。それで兄貴にやさしくしたんだとおもう。兄貴は女性に免疫がないから、簡単に引っかかっちゃったんだな」。その鰐口がバイク事故で入院したことがありました。「あのな、おい。へちゃむくれの看護婦なんだよ。それが、毎日、足のガーゼを取り替えにくんの。親切で、やさしくて、丁寧で。そうすると、おへちゃの筈が、だんだん可愛く見えてくるんだよ。あれは恐ろしいぜ。おれ、もう1週間長く入院していたら、好きになってたかもしれない」)。
 幸福な10年は、そろそろ幕を下ろそうとしていた。  
(つづく)