ネクタイ 17

 F・R・ストックトンに「女か虎か」というミステリがある。ごく短い作品だが、このてのミステリはリドル・ストーリーと呼ばれる。リドル・ストーリーとは、「結末をはっきり書かないで謎のまま終らせ、読者の想像に委ねて二通り以上の解釈を生む作品」と、「ミステリ・ハンドブック」(早川書房編集部編)に説明されている。
 昔、あるところに、半野蛮人の王様がおさめる国があった。王様は、野蛮人で残酷なのだが、文化の高い近隣諸国との交流が、彼に洗練や理知や寛大さをもたらした。それがよく現れているのは、その処刑方法だった。
 闘技場に観客を集め、公開処刑をするのだが、処罰される者に選択の余地をあたえる寛大さがあった。すなわち、ふたつの扉の向こうに、片方には国いちばんの美女を、もう一方には凶暴な虎を用意したのである。処罰される者は、そのどちらかを選ばなければならない。虎のいる扉をあければ、一瞬にして躍り出た虎の餌食になってしまう。運よく美女の扉をあければ、罪を許された上、その美女をめとることができた。
 ここに国いちばんの美丈夫がおり、身分は低かったが王様の娘と恋仲になった。王女は絶世の美女ではなかったし、王様の性格を半分受け継いでいた。それでも、若者は王女を深く愛していた。
 やがて、ふたりの仲は王様の知るところとなり、身分違いの若者は、王様の怒りを買って処罰されることになった。処刑方法は、くだんの通りである。
 王女がようやくのことで虎がひそむ扉をつきとめたとき、若者は闘技場に引き出されようとしていた。血に飢えた観衆たちは、これから起こるであろう惨劇に興奮して、闘技場をどよめかせた。観客がわきたっているなかで、若者はそっと王女をうかがった。そして、王女と眼が合ったとき、どっちが虎か、王女がつきとめたことを悟った。
 ところで、もし若者が助かって許されれば、彼は絶世の美女と結婚することになる。王女は、彼女が前から嫌いであった。ときおり、若者と笑い合ったり、親密そうに話したりするのを見かけて、激しく嫉妬したことがあった。絶対、若者を渡したくない。とはいえ、王女は、愛する若者をけっして死なせたくなかった。だからこそ、危険を冒してまで虎の扉をつきとめたのだから。
 王女の指が、そっと右の扉をさしたのを、観衆は気づかなかった。が、若者は見逃さなかった。右の扉をあけろ、という合図である。王女は自分を愛している。それは紛れもないことだ。しかし、彼女には、半野蛮人の父の血も流れている。
 若者は、右の扉に手をかけた。扉がゆっくりと開かれてゆく。はたして、そこにいたのは、女か虎か。
 大手エアコンメーカー常務のT氏は、冗談が好きだった。真顔で冗談をいうこともあったし、ニヤニヤしながらいうことが案外本当だったりした。もちろん、真顔で真面目な話もするし、笑いながら嘘とも本当ともとれる話をすることだってあった。
 日本に寄港する空母に、核爆弾が積まれているとかいないとかで、世間が大騒ぎしていたときのこと。
「あんなん、大したことちゃうでえ」
 これから国会議員と食事をするからといって、鏡に向かって新しいネクタイに締め替えているときに、T氏はうれしそうにいった。
「うちの堺の工場では、きみ、核弾頭つくってるんやでえ」