ネクタイ 18(おまけ)

 友人の甘木と銀座で飲んで、地下鉄に乗った。まだ終電には間があったが、車内はがらんとして乗客はまばらだった。駅に着くごとに人が降りて、替わりに乗ってこないから、とうとう車内に二人だけになった。すると、甘木が立って、向かいの座席に移った。
「こんなに空いているのに、なにも隣り合って座るのはもったいない。こうして、一人一座席を占領すると、なんだか気分がいいではないか」
 一座席といっても、ただ横に長いだけの椅子である。それでも、一座席といいたいなら、いえばよろしい。
 向かい合って電車の揺れに身をまかせていると、だんだん眠くなってきた。隣のときは、すぐ横だからおしゃべりしやすかったが、向かい側だと近くて遠い。すこし乗り出して話していたが、お互いに面倒くさくなって、どちらからともなく話を打ち切った。
 どうも非常に眠い。ほんのいっとき眼をつむるつもりで、つむったら、瞼が重くなって開かなくなった。つむる瞬間、甘木を見ると、甘木のほうも居眠りをはじめたようだった。
 そうして、眼をつむっていると、次の駅になかなか着かない。酔うと時間の感覚が間延びするから、きっと線路のほうもどんどん先に伸びているのだろう。こんなことでは、いくら速度を上げても、伸びる線路に追いつくはずがない。追いつかなければ、ずうっと走りっぱなしで、いつまでもこうしていなくてはならない。
 そうおもったとき、駅に着いたらしく、車両が停まってドアが開く音がした。相変わらず、瞼が重くて、眼が開かない。ドアが閉まりかけたとき、あわてて乗りこむ人の気配がして、だれかが隣に腰掛けたようだった。
 しばらくして、急にネクタイが引っ張られた。眠いなりに瞼をこじあけてみると、小さな男の子がうれしそうにネクタイの端を握っている。
「これこれ、手を放しなさい。ネクタイなんか、引っ張ったりしてはいけない」
 甘木を見ると、甘木の膝の上には小さな女の子がにこにこしてちょこんと座っていた。そして甘木は、眼をつむったまま、その女の子のおかっぱ頭を撫でている。
 そのとき、一瞬電灯が明るく輝いて、ぱっと消えた。あたりは闇になった。
 ようやく駅にたどり着くと、車内が薄明るくなった。向かいの甘木を見ると、膝に白い猫を抱いて眠っている。私の足もとでは、黒い猫が前脚で、ネクタイの先をしきりにつついていた。
(作者註:「私のニセ東京日記」が紛れ込みましたが、ネクタイがらみでそのままにします)