ハンドバッグ

 新橋に藤田商店という問屋があって、委託のハンドバッグを選びに行ったことがあった。入社してすぐの頃のことだ。フランス製のクリスチャン・ディオールを輸入している会社だったが、その割にしけた小さなビルの2階にあった。
 ディオールと同じ工場で作られたとおぼしきコランというブランドがあって、ディオールと細部までほとんどいっしょなのに、マークのところが違うだけで価格が半額くらいだったように記憶している。もちろん、コランも藤田商店が取扱っていた。
 ぼくは、結婚する前に実家から会社に通っていた頃は、ぎりぎりまで寝ていて朝食をとったことがない(眠るのがもったいなくて、真夜中まで遊んでいるのだから、起きられないのも無理はない。悪友の鰐口が誘いにこない、だから遊びに出ない日も、もちろん、眠ってしまうのはもったいないから、午前3時頃まで本を読んだりする。3時を過ぎると、なんとなく怖くなって、あわてて眠ってしまう)。そのくせ、通勤の時間の合間をぬって、駅の立ち食いソバを5分で食べたり、アートコーヒーでホットドッグとコーヒーをとったりしていた。
 勤め先が京橋から銀座に変わると、銀座4丁目の角、三越にくっついて出店したマクドナルドに寄ることが多くなった。たいてい、チーズバーガーとコーラを頼んだ。昭和52年から、それが数年続いた。当時は、朝っぱらからハンバーガーを食べてる人はすくなくて、ぼくはチーズバーガーとコーラを手にして「ティファニーで朝食を」(映画のほうの)のオードリーの気分を味わっていた。
 藤田商店の社長は、藤田田といった。ふじでんでん、でも、ふじたた、でもない。ふじたでん、と読む。一代の傑物で、この人が日本にマクドナルドのハンバーガーを導入したのである。「ユダヤの商法」という著書は、ベストセラーになった。高校生だった孫正義氏が訪問して、コンピューター関連を学ぶよう助言されたという逸話があるそうである。傾倒する人物がいても、むろん、おかしくない。
 ぼくも、1度だけ、お会いしたことがある。お会いしたといっても、社長かだれかにくっついていって、ただ、居合わせただけだけれど。
 ぼくは、話の合間に、そっと藤田社長のそばにいった。そして、ドキドキしながら、
「ぼくもファンです」
 と、告げた。
 特徴のある藤田社長の口元がほころんだ。
「それは、ありがとう」
 すぐにぼくは、人のうしろに引っ込んだ。だれかのおともが前に出てはいけない。
 ぼくは、それでも、自分の気持を伝えることができて、十分満足だった。お会いすることがあったら、ぜひとも、いいたかったことだから。
「ぼくも、マックのチーズバーガーのファンです」