ハンドバッグ 2

 フジヤ・マツムラには、特選とよばれるオリジナルのハンドバッグがあった。ちょっともっちゃりとして、和装で持つのに適していたが、年輩のご婦人には洋服で普通に持たれていた。この特選バッグをつくっていたのは、墨田区向島の高梨さんという職人さんだった(2005-12-18「職人」参照)。
「タカシマくん。オリジナルといっても、本当はもとになったハンドバッグがあるんだよ」
 永福町の会長が、秘密を打ち明けるような口調でぼくにいった。
「もとにしたのは、フランスのバッグだったんだ」
「それって、パクリということですか」
「うん。シャープなハンドバッグでね。よく売れたんだよ、どのデザインも」
「盗作はまずいんじゃないですか」
「それがね」
 といって、永福町は話しはじめた。
 当時、というのは、ぼくが入社するずっと前のことだが、外国製品はわざわざその国へ買い付けに行っていた。そして、めぼしい店を1軒1軒見てまわって、(持ち出せる外貨にかぎりがあるから)あっちの店で何点、こっちの店で何点というふうにして買い集めていたのである。
 だから、バイヤーというのは、嗅覚があって目利きでなければなかった。買って帰って売れなければ、大赤字である。小売店なら、それがもとで左前になりかねない。仕入れは大量にはできなかったから、足りない分は輸入枠のある問屋に代わりに買い付けてもらった。問屋の多くは、それが縁で先方と代理店契約を結び、専門に仕入れるようになっていった。
 パリにあったその店は、とても小さな店で、こじんまりと商いをしている店だった。それが、次に行ってみると、影も形もなくなっていた。そこで、前に仕入れたハンドバッグを参考に、高梨さんに同じものをつくらせることにした。
「ところが、高梨さんは和装用のハンドバッグをつくっていた職人だから、なかなか私の思い通りにできないんだよ。何度も文句をつけて、何度もやり直させたが、どうしても肝心なシャープさが出ないんだ。もちろん、皮も金具も違うからね。仕方がないところはある。うるさくいって、ずいぶんよくなったけど、やっぱりもとのハンドバッグの雰囲気とはまるで違うものだよ」
 永福町は、ぼくを見た。
「だからね、タカシマくん。うちの特選は、もとのハンドバッグとは別のものなんだよ。高梨さんのせいで、というかおかげで、オリジナルになっちゃったんだ」