ハンドバッグ 3

 展示会は、店のあるビルの4階ホールで催された。4階ホールに上がるには、エレベーターと階段があった。もちろん、お客様にはエレベーターで上がっていただいた。
 狭いエレベーターだったから、下りるとき、乗り切れない社員は階段を使った。お客様をエレベーターにお乗せして、ドアが閉まったのを見届けてから階段で駆け下りる。エレベーターが1階に到着してドアが開くと、そこに4階にいた社員が立っている、という趣向である。
 4階のエレベーターホールは、ごく狭く、廊下程度しかなかった。すぐの入り口から会場に入ると、正面にボードの壁があって、きれいに飾り付けがしてある。昔は店長がディスプレイしていたが、退職してからは僕がやるようになった。虫ピンとトンカチで、ワンピースやジャケット、スカートをボードに飾る。店長は華麗に飾ったが、ぼくはシャープに見せられるように心がけた。ボードの手前にステージがあり、さいころと呼ばれる大小の箱がいくつも置かれていて、ハンドバッグをのせて展示した。お客様が最初に目にするところなので、念入りに飾り付けた。特にまんなかの箱には、ワニのハンドバッグを置くことが多かった。
 ぼくは、そのときの赤いクロコダイルのハンドバッグを、いまも忘れない。メーカーは、バリーだった。まあ、よくある話である。
 よく、用もないのに立ち寄るセールスマンがいた。いや、靴下かネクタイくらいは買ったことがあったのかもしれない。そうでなければ、そうたびたび寄って暇つぶしすることはできなかっただろう。しかし、彼は、あるときからパッタリと姿を見せなくなった。
 彼は、千葉の新興住宅地のチラシを鞄から引っ張り出しては、だれか買いませんか、と、少々なまりの混じった言葉でいった。そして、小さな金縁眼鏡でしばらくみんなの顔を見まわしてから、そうか、だれも買わないか、といいながら大きな溜息をついて、ハンカチを取り出して薄くなった頭の汗をぬぐった。もうすぐ冬だというのに、彼の頭からは湯気が出そうだった。それから、そうかそうか、といいながら大事そうにチラシを鞄に戻すと、じゃあまたね、といって街に消えていった。
 1度、チラシを置いて帰ったことがあった。見ると、原っぱのような場所にポツンと1軒、家が建っていた。新興住宅地にしては、さびしそうな場所だった。家とは別に撮影した家族の写真も載っていたが、なんとなく雰囲気がおかしかった。
「これって、どう見ても日本人の家族じゃないなあ」
 釜本次長がいった。
「それにこのモデルは、自分の会社の社員のようだよ。こんなに刈り上げて」
 その展示会の日にも、彼は来た。たまたま寄ったら展示会だったということだ。どうせ買い物はないから、と、店にいた社員は彼を案内しなかった。裏にエレベーターがありますから、それで4階に上がってください、といって彼をひとりでエレベーターに乗せた。ぼくは、ちょうど、店で顧客のお相手をしているところだった。
 エレベーターが4階に着いたとき、そこにはだれもいなかった。レジやお茶席は、会場のいちばん奥にあった。本来、エレベータの前にいて、上がってこられたお客様をお迎えするべき社員たちは、暇なもので、奥で固まっておしゃべりをしていた。
 最後に彼を見たのは、梅ちゃん(2006-03-19〜04-16「梅ちゃん」参照)である。のこのこ階段で4階に上がったら、目の前にセールスマンがいた。なぜか階段で下りようとしていた。いらっしゃいませ、と挨拶すると、セールスマンはどぎまぎして、くるくると2、3回そのへんをまわって、あわててエレベーターで下りていった。エレベーターが停まっているなら、はじめからエレベーターを使えばいいのに、へんなの、とおもったが、梅ちゃんはみんながいるところへ歩いていった。きしやさんの社長秘書と階段の踊り場で逢い引きしていたのをごまかすために、席をはずしていた言い訳を考えながら。
 それだけのことだ。バリーの赤いハンドバックが消えてしまったことを除けば。