ハンドバッグ 16


 その日、母娘は些細なことで喧嘩をした。それで、午後の自由行動のときも、二人は口をきかなかった。
 母娘は二人だけで、表通りに面した何軒かの店を覗いてまわった。団体行動を嫌ったというより、高価な買い物をするかもしれなかったので、同行の人の目を気にしたようである。
 二人は、いつの間にか裏町の路地にまぎれこんでしまい、仕方なくホテルがあるとおぼしき方角に向かってとぼとぼと歩いていた。
 お嬢様は、笑福亭笑瓶似の頬をぷっとふくらませて、どんどん先に歩いていった。サザエさんのお母さんに似たルリ子様は、遅れがちになると足を速めて追いついていたが、だんだん娘との距離がひらいていった。着物で草履なのだから、無理もない。胸にかかえたリュックサックがゆさゆさ揺れて、歩きづらいことおびただしかった。ぷりぷりして行ってしまう娘は、次の角をとっとと曲がって消えた。
 そのとき、足音もなくうしろから近づいてきた男が、急に走り出すと、追い抜きざまにポシェットのショルダー部分をつかんで引っ張ったのである。しかし、ルリ子様は、ポシェットを斜めにかけた上からリュックをかかえていたから、引っ張られてもポシェットは抜けなかった。そこで男は、やおらナイフを取り出すと、ショルダーの部分を一気に切り裂き、無理矢理ポシェットを強奪した。ほんの数秒の出来事だった。
 ルリ子様は、男が無理にポシェットを引っ張ったものだから、その勢いで前のめりにどうっと倒れ込んだ。
「だれか! 泥棒!」
 叫んだつもりだったが、おもうように声が透らなかった。
 お嬢様があわてて戻ったときには、ルリ子様は腹這いになってもがいていた。あとでお嬢様は、まるでひっくり返った亀のようだったのよ、といった。
 札入れは帯に挟んでいたから無事だったが、ポシェットのなかにパスポートが入っていた。それと、晩餐会で飾るときのために持ってきた指輪がいくつか入っていた。娘には、三つ、といったが、本当は5個入れてあった(1個につき、すくなく見積もっても100万円はしたでしょうね)。
 二人は、あわてて警察署を探した。
(つづく)