ハンドバッグ 15

 サザエさんのおかあさんのような方がいた。いつも着物姿で、髪型もうしろで丸めて結っていた。じつに渋い着物だったが、それがよく似合っていた。センスがよかったのだろう。
 仮に西中ルリ子様としておこう。名前がないと、話しづらいからである。
 この名前は、ご本人のものか、それともお嬢様のものか、とうとう最後までわからなかった。なぜって、呼びかけるときは名字ですむし、当然わかっているものとおもわれてしまうと、いまさら聞き直せないじゃありませんか。
 もともとはご主人の名前で登録されていたから、名簿には「西中年男」(仮名)とあったのである。なくなられたあと「ルリ子」と修正されたが、それが奥様かお嬢様かが定かではない。だったら、確認すればいいじゃないか、とおもわれるだろうが、それができれば苦労はない(もし、あなたが、よく知っている人とニコニコ話しているうちに、ところであなたはなんというお名前でしたっけ、と聞かれたら、いい気分でいられますか)。
 ご主人は、株屋さんらしかった。株の売買で収益を上げる人である。ぼくも、一度だけ、株が下がって往生しているよ、というのを聞いたことがあるから、やはりそうだったのだろう。あっという間になくなられたが、相当の財産を遺されたようだった。
 ルリ子様は、宝石の趣味があった。おもに指輪である。ちゃちな石には興味をしめさず、さりとて着物に合う指輪だから、ゴテゴテしていてはいけない。極上の石で、シンプルなデザインでなくてはならなかった。着物のセンスもそうだが、ルリ子様は指輪のセンスも抜群だった。それで、イタリア旅行に出かけるときにも、晩餐の席につくとき恥ずかしくないように、お気に入りのいくつかを忘れずに持っていったのである。
 ルリ子様は、イタリアでも、終始着物だった。ただ、バッグはリュックのほうがいいといわれ、着物ではリュックを背負うわけにいかなかったから、胸のほうにかけて歩いた。それに、斜め掛けのできる柔らかい革のポシェットを用意していた。着物の上からまずポシェットをかけて、その上からリュックを抱く格好になった。
「だから、あんなことになったのよ」
 笑福亭笑瓶似のお嬢様が、冷たくいった。
(つづく)